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高校卒業式が挙行されました

TOHO Today高校

去る3月7日(土)に高校卒業式が行われ、80期322名が桐朋高校を卒業しました。

式には多くの保護者の方々の臨席を賜りました。

この学年は、中学1年入学直前にコロナウイルスの流行により、全国的に学校が一時期閉鎖され、本校でも4月からはオンラインでの授業が行われ、入学式も6月1日に行われるといった異例の学年で、生徒、保護者そして教職員ともに特別な思いをもって迎えた卒業式となりました。

式後に同窓会歓迎会が行われ、生徒たちでクラスごとに食事会、保護者の方々と記念撮影などを行っていました。

卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。

以下に、卒業生代表として登壇した永村岳士(えいむらがくし)君の答辞を掲載します。

 

答辞

八十期の高校での学年方針は、「四季Ori織り」でした。日が昇るところ「Orient」の接頭語を取り、高校生になった八十期が新たな試みを始めること。また、中学の学年方針「紡ぐ」をふまえ、各々が自身の中で縒り合わせた経験の糸を、一つの絵に織り上げることを願って決まったものだといいます。入学から三年、八十期の高校生活は、もう間もなく終わりを迎えようとしています。

本日、桐朋高等学校八十期、三二二名の卒業式を挙行していただくことを、卒業生を代表して、心より御礼申し上げます。そして、僕達の学びや活動を支えてくださった先生方、常に我々のことを見守り続けてくださった保護者の皆様に、重ねてお礼申し上げます。

さて、先ほど述べた学年方針「四季織り」。「四季Ori織り」新たな挑戦と、協力への志向性が現れた背景には、やはり、中学時代に強いられた、諸活動への自粛からの解放がありました。コロナが奪ったものは多いといっても、中学入学後の三年間にまるまる打撃を受けたのは、八十期だけでしょう。Zoom上で行った初めての授業。ロイロノートでの初めての課題提出。夏服を着て出席した入学式。感染者が減る気配は現れず、いつこの状況が終わるか分からないまま、退屈と不安が続きました。「Afterコロナ」を迎える見通しはたたず、「Withコロナ」が生活の当たり前となり、度重なる緊急事態宣言や、蔓延防止対策の発布などで、行事や課外活動はことごとく制限されていきました。

ですが、この逆境の中でこそ、僕達は何のために学校に行くのか、自分には今何ができるのかと、自己の内面と向き合う意識が芽生えたのではないでしょうか。

転部した八十期生が中心となって活動を進め、桐朋の伝統を改めて興隆させた「なわとび部」。自らの趣味を突き詰め、中学生ながら教室1つを使って行った、桐朋祭の個人展示「おレゴのお展示」。これらはコロナ禍での内省が、結実した最たる例でしょう。そして、中学三年生の最後に行われた英語のスピーチコンテストで「My treasure」をテーマに自身を表現する生徒達の姿は、活力に満ちあふれていました。

こうして、苦境のもとでも自らの生き方を紡ぎ出した八十期は、高校に入り、いよいよ、力を合わせて一つの作品、桐朋祭を織り上げていくこととなりました。切迫した会議や作業、桐棚祭Tシャツのハプニング(※)、当日が終わった後も続く会計の仕事など、数々の困難が立ちはだかったものの、装飾の展示の大規模化、キャッシュレス決済の導入、飲食の団体数増加、体育館ライブの実施など、史上初の快挙を多く成し遂げ、第七十三回桐朋祭は大成功となりました。

桐朋祭の準備の中で、僕が最も印象に残っているのは、テーマを決める際の議論の場です。「花乱」「My Way」など多くの大胆な案が提出されるなか、実行委員会が委員全体で話し合う時間を大事にしたことで、学年全体の一体感は高まり、最終的に確定したテーマ「鯨波」は生徒から愛されるものとなりました。

八十期は学年方針や学年通信「Tapestry」で、その軌跡を紡績・織布に例えてきました。中世末期からフランス絶対王政にかけては毛織物のゴブラン織りなど名産品であったタペストリーですが、現代において織物それ自体は、けして貴重なものではありません。ニューコメンの蒸気機関。ジョン=ケイの飛び杼。これらの出現に始まる第一次産業革命以降、綿製品の生産は容易となりました。クロンプトンがミュール紡績機を発明したことで綿糸は大量に余剰が生まれ、カートライトの力織機の発明で、とうとう綿織物は職人を必要としない機械での生産が可能になりました。このことと同様に、学生生活も、今やありふれた、生徒が創意工夫を凝らさずとも課程を修了できる、画一化されたものであると言えるかもしれません。

しかし、僕達が織り上げたタペストリーは量産化・平均化などとは程遠い、大変手の込められた一点ものであるはずです。数々の行事・企画において、各々が自分の人生と向き合い、苦境を乗り越えて連携したからこそ、なんとなく過ごしていては決して得られなかった、実感がありました。僕はここに、桐朋での学びの本懐があるのだと思います。

ここ一年近く、僕達はどうしても、足りない知識を補強する、もしくは過去問を解いて穴を埋めるといった、短期的な目標のための学習に時間を割いてきました。もちろん、このような学び方はリスキリングという言葉に代表されるように、社会において一定の価値を持つでしょう。しかし、自分なりに経験を縒り合わせて糸を紡ぐこと、そして周りと協力して新たな成果を織り上げること。これらは人生を通して必要となる営みであり、小手先の技術だけでは十分な成果は得られません。だからこそ、卒業にあたって、今一度、この代替のできない六年間の日々を学びほぐし=Unlearnし、これからに活かせることを発見するべきなのだと思います。

八十期生の皆さん、新しい生活が始まるまでの間、アルバムあるいは文集をめくって、これまでの生活を思い返す時間を大切にしてください。

そして最後になりますが、本日まで親身にご指導してくださった諸先生方、苦楽を共にした友人、一番近くで私たちを支えてくれた家族に改めて御礼を申し上げ、答辞とさせていただきます。

二〇二六年三月七日  卒業生代表 永村岳士

(※) 本来であれば「桐朋祭」とプリントされるべきTシャツが「桐棚祭り」と誤ってプリントされて納品されたというハプニングです。