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中学行事

2023年度 中学入学式

4
Apr
11

4月8日(土)に中学入学式が行われ、83期中学1年生の258名が入学しました。
入学式の後には、クラス毎に集合写真を撮影しました。
入学式での「校長の言葉」を紹介いたします。

 

「中学入学式 校長の言葉」

ここ国立も、春を彩るさまざまな花が咲き誇り、木々も柔らかに緑をまとう、まさに、「春爛漫」といったことばがぴったりの、美しく、色あざやかな景観となっています。生命の輝きに充ちた本日、新入生の保護者の方々にご臨席を賜り、桐朋中学校の入学式を挙行できますことを、大変嬉しく、ありがたく感じております。
新入生のみなさん、入学おめでとう。中学生としての第一歩を踏み出しました。
今、どんな気持ちですか。緊張とともに、晴れやかさ、誇らしさを感じている諸君が多いことと思います。
保護者の皆様方、ご子息の桐朋中学校へのご入学、誠におめでとうございます。ご子息の健やかなるご成長に寄与すべく、第83期中一学年の教員ともども、精一杯取り組んでまいります。何とぞ、私たちの桐朋教育に、温かいご理解とご支援を賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。
さて、新入生の皆さん、一冊の絵本の紹介から話を始めたいと思います。アメリカの絵本作家、シェル・シルヴァスタイン。シルヴァスタインは、「哲学的」とも呼ぶべき、深く考えさせられる内容を、絵本という形で問いかけてくる作品をいくつも書いています。
今日、紹介するのは、「はぐれくん、おおきなマルにであう」。この作品、「ぼくを探しに」という、別の作品の続編になっています。「ぼくを探しに」とは、どんな内容かというと、円の形をした「マルくん」が、かけらにあたるミッシングピースを失ってしまいます。そのマルくんが、自分の足りない部分、ミッシングピースを探しに行くというお話です。
そして、「はぐれくん、おおきなマルにであう」は、今度は、ミッシングピースにあたる「はぐれくん」が主人公となって、はぐれくんの形とぴったり合い、自分がすっぽり収まることのできる、一部分の欠けた大きなマルくんが通りかかるのを、はぐれくんはひたすら待ち続けるという内容でして、二つの作品は対になっています。
このうち、「はぐれくん、おおきなマルにであう」を翻訳したのが、村上春樹さん。村上さんは「あとがき」でこんなことを語っています。
「missing pieceというのは、『あるべきなのに、欠けている部分』ということですね。それは、くさびのような形をしています」「どちらのお話にも共通しているのは、『自分はじゅうぶんではない』と主人公たちが考えていることです。マルくんは『自分には大事な一部が欠けている』と感じているし、はぐれくんは『自分はもっと大きな何かに含まれるべきだ』と感じています。そして、一緒になる相手を見つけようと、どちらも懸命に努力します。でもなかなかうまく相手が見つかりません。やっと正しい相手が見つかったと思っても、いろいろあって結局うまくいきません。その努力をいわゆる、『自分探し』ととらえることもできるでしょうし、自分を正しく理解し、受け入れてくれる他者の探索、ととらえることもできるでしょう。でもいずれにせよ、そういう相手は簡単には見つからないものです。僕らの人生においても、だいたい同じようなことが言えますよね」「でも最後にはいろんな経験を通して、マルくんもはぐれくんも、『大事なのはふさわしい相手(他者)を見つけることではなく、ふさわしい自分自身を見つけることなんだ』と悟ります。そしてようやく心穏やかな、平和な境地に到達します。なんだか哲学的ですね」
新入生のみなさん、みなさんがこれから過ごす中学・高校という時期は、自分の、さらには今後の人生の土台となる部分を形作る大切な時期です。今日、出逢った桐朋中学の教員、そして、何よりクラスメイトとともに、日々の学校生活や行事、クラブ活動に取り組む中で、多くの体験をし、さまざまなことを感じ、考えることで、健やかに、逞しく成長を遂げ、みなさん一人ひとりが土台となる部分をしっかりと築きあげてほしいと願っています。
そして、そうした日々の中で、さらには、そうした時期だからこそ、時に、「欠落感」、「あるべきものが、欠けている」という思いに駆られることもあるように感じます。「自分はこれでいいのだろうか」、「楽しくはあるのだけれど、何か物足りない。満たされた感じがしない」。こうした思いに駆られ、「自分探し」、「自分を正しく理解し、受け入れてくれる他者の探索」に励む時が、誰しもあるように感じます。だからこそ、本日、紹介した「はぐれくん、おおきなマルにであう」という作品が、多くの人に読まれ、大切にされているのだと思います。
絵本作家の五味太郎さん。コロナ禍となり、先行きの不透明さ、社会の不安定さが増す中、五味さんは子どもたちに向け、さまざまなメッセージを届けていました。例えば、こんなメッセージです。
「いまは、子どもも大人も本当に考える時期。『じょうぶな頭とかしこい体になるために』という本を書いたことがあるけど、戦後ずーっと『じょうぶな体』がいいと言われてきた。それはつまり、働かされちゃう体。『かしこい頭』というのは、うまく世の中と付き合いすぎちゃう頭で、きりがないし、いざという時に弱いからね。今こそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要なのだと思う」
「学校も仕事も、ある意味でいま枠組みが崩壊しているから、ふだんの何がつまらなかったのか、本当は何がしたいのか、ニュートラルに問いやすいときじゃない?」
さらに、五味さん、こんな指摘もしています。
「心っていう漢字って、パラパラしてていいと思わない? 先人の感性はキュートだな。心は乱れて当たり前。常に揺れ動いて変わる。不安定だからこそよく考える」
五味さん、世の常識と思われているものに、安易に取り込まれたり、すがったりせず、自分で考え、自分が本当に理解できる、納得できることを探しています。絵本作家としてのこんな指摘も、実に興味深いと感じます。
「ちょっと格好良く言えば、絵を描くことっていうのは、描かないことがどのくらいあるかということ。描かれなかったことについて、自分では描く気がなかったことについて、気になる。お話や画面の都合上はあるにしても、本当は、画面だけの勝負じゃないんだよねっていうのは。描くときには持っておかないとね」
こうした視点を持つことは、絵を描くことだけでなく、自分を知る、自分に対する理解を持つ、さらには、その理解を深めていく上で大切な指摘だと感じます。
新入生の皆さん。桐朋中学校が大切にしていることは「自主的態度を養う」ことです。自主的とはどんなことだと思いますか。自分の意思で、自分の力で取り組むことを意味します。桐朋で学校生活を送る中で、自主的に取り組む意義・価値を、みなさんに自覚してほしい。自主的に取り組む魅力を実感してほしいと願っています。
実は、五味さん、本校の卒業生です。本校が大切にしている自主性は、五味さんの「自分」というものをしっかりと持ち、自分が納得いくまで考え続ける姿勢。自分なりのものの見方、考え方を掘り下げ、探究する姿勢と深く通じ、大いに重なっているように感じます。
五味さん、こんな話もしています。
「充足している大人は、自分からは何も言わない。穏やかに若者を見ている。ぼくは中学では体操部で、そこでも、すぐに何か言ってくる大人と、じっと見ている大人がいた」「穏やかに見ている大人は、自分からは何もいわなくても、質問されたら丁寧に答えてくれる。自分ではわからない点も、『わからない』ということも含めて説明してくれる。そういう『大人の正義』みたいなものを味わいながら、人間って成長していくんじゃないかな」
さらに、こんなことも話しています。
「いちばん必要なのは『わかっている』人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも、『わかろうとしている人』です」「高校のときにも、そういう『現役』の教師がいました。ぼくが変な質問をしたら、その先生もわざわざ調べてきてくれたんです。廊下で呼び止められて――そのときにはぼくは質問したことすら忘れてたんですが、一所懸命説明してくれて、参考文献まで貸してくれました。そのとき、彼がとってもうれしそうだったのを覚えています」「その人のことはずうっと好きだったし、一目置いていました」
五味さんが本校の生徒だった頃と変わらず、みなさんと「大人の正義」にあたる形で関わりを持ちながら、みなさんと一緒に、われわれ教員も「現役」として学んでいきたいと考えています。
そしてもう一つ。桐朋中学校は、「自主的態度を養う」ことに加え、「他人を敬愛する」、「勤労を愛好する」ことを教育の実践目標に掲げ、周りの人に敬意を払い、積極的に関わる行動力を持つ姿勢を大切にしています。
最初に取り上げた絵本、「はぐれくん、おおきなマルにであう」で、はぐれくんが「大事なのは、ふさわしい自分自身を見つけることなんだ」と悟るまで、はぐれくんは一緒になる相手を見つけようと、懸命に他者と関わりを持ちます。一向に相手が見つからない。見つかったと思っても、結果的に実を結ばないという失敗、挫折を繰り返しながらも、粘り強く他者と関わる体験を積み重ねます。悟る、真に理解することは、他者と積極的に関わり、行動する体験を重ねる中で、納得できる、実感が持てるようになるのだと思います。
ぜひ、桐朋で出逢った仲間とともに多くの体験を重ね、すぐに答えの見つからないような難解な問いにも、果敢にチャレンジしてください。
今年3月に亡くなった作家の大江健三郎さん。大江さん、こんな言葉を残しています。
「教わって『知る』、それを自分で使えるようになるのが『分かる』。そのように深めるうち、初めての難しいことも自力で突破できるようになる。新しい発想が生まれる。それが、『悟る』ということ」
新入生のみなさん、改めまして、入学おめでとう。桐朋での学校生活において、われわれ教員も、「現役」として、「わかろう、わかりたい」と懸命に探究を続けますので、みなさんも、みなさんを高めていく力となり、支えともなる、「自主的態度」、「他者を敬愛する心」、そして「積極的に行動する姿勢」を、桐朋生としてしっかりと身につけ、「知る」から「分かる」、さらには「悟る」にまで至る、そんな学びを実践してください。皆さんの頑張り、大いに期待をしています。

 

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