
高2宇田川君がバッハコンクール全国大会で銀賞受賞
バッハコンクール全国大会「銀賞」受賞
~僕がコンクールに出る理由~ 宇田川晄椰(高2)
2月11日に銀座の王子ホールで行われた「日本バッハコンクール全国大会」で銀賞を受賞しました。
僕が幼稚園から12年間通った桐朋学園大学音楽学部附属子どものための音楽教室(以下、音教)は、中学3年で卒業した後は生徒の多くが音楽高校(以下、音高)へ進学します。僕は音楽家を目指してないですが、音教に在籍する限りはソルフェージュの試験やピアノ実技の試験が音高を目指す人と同じようにあり、クリアする必要があります。何とか最後まで通い続けて卒業試験をクリアして修了証がいただけた時はやり切った感でいっぱいでした。
卒業後もピアノは個人レッスンで続けて、好きな曲を弾いて勉強や部活の合間に楽しむつもりでしたが、音教という縛りが無くなった途端気が抜けてしまいました。小さい頃から毎日の練習が必須だったのに、練習しなくても誰からも怒らないので最初は開放感でいっぱいでした。でも、音高に進学した友人達の話を聞くと僕だけ取り残されるような気持ちになったり、そうかといって練習するわけでもないという燃え尽き症候群みたいな日々を送っていました。
そんな僕に先生がコンクールへの出場を提案してくださり、実は高1の時もコンクールには出ました。夏休み中に予選と本選があるので練習時間の確保がしやすく、課題曲はなく自分が好きな一曲だけで受けられるコンクールだったので楽しく取り組むことができ、全国大会2位(1位無し最高位)をいただけました。
この結果に満足して、その後は日々の忙しさを理由に一旦ピアノから離れてしまいました。丁度部活も忙しくなりレッスンに通うのもやめてしまいました。J-POPやアニソンなど遊びのピアノ曲は毎日弾いていましたが、クラシック曲は数ヶ月間一度も弾かなかったです。
高2の夏休み、海外に住んでいて暫く会えなかった幼馴染が4年ぶりに家に遊びに来た時、「久しぶりに晄椰のピアノが聴きたい」と言われて、桐朋祭のバンドで演奏した曲など弾いてみせたんです。「そういう曲もいいけれどクラシック曲が聴きたい」と言われ、昔弾いていたリストやショパンを弾こうとしたけれど、弾けない、指が回らない。「ヤバい」と思いました。自分の部屋に置いてある電子ピアノでばかり弾いていたせいか、普通のピアノの鍵盤に違和感を持った自分にもショックでした。この時「もう一度コンクールに挑戦しよう」と決めました。
バッハコンクールへエントリーしたのは、バッハは音楽を勉強する上で避けて通れない作曲家で小さい時から弾きなれていたこと。複数の長い曲を仕上げなければいけないコンクールには準備が間に合わないけれど、バッハなら今まで弾いた中の一曲をブラッシュアップすれば取り組めそうなこと。後は、スキー部のシーズン入り前に予選があり、通過できた場合の全国大会は、部活の大会が全て終わった後という日程も決め手になりました。
2つある部門のうち僕が選んだのは平均律のフーガを弾くA部門です。先生からはプレリュードとフーガを両方弾くB部門を勧められたのですが、フーガだけの完成度を高めた方が入賞しやすいかもと打算が働きました。この選択が裏目に出て後悔することになりました。僕はテンポ良く元気に弾くプレリュードを褒められることが多く、そこからメインのフーガにつなげた方が結局は弾きやすかった。フーガの数分に技術も曲の理解も感情も込めて完成させるのは僕には難しく大変でした。
全国大会当日、会場には北海道から沖縄までの予選を通過した高校生達が、数分のバッハを弾くためだけに集まっていました。80名弱の演奏を朝から聴いている審査員に少しでも僕の演奏が届くように心を込めて弾きました。自分では納得できる演奏ができたし、舞台での演奏は気持ち良かったです。高評価をつけてくださった審査員もいましたが金賞には届かず。惜しい点だったので正直悔しいですがいつかリベンジしたいと思います。 (高2 宇田川晄椰)