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演奏家としての視点で授業をする ~第66回全東北ピアノコンクール入選をうけて~

6
Jun
15

 私は自身がまさか教員になるとは、ほんのかけらも思っていませんでしたが、気がついたら毎日楽しく生徒と過ごしています。教員になると「授業」をするわけですが、いざやってみるとなかなか大変です。特に、生徒の年齢が上がってくると知識や感性がより豊かになり、思考力、判断力も身につきます。そんな彼らの「知的好奇心」をくすぐりながら授業をするためには、教員自らが日々、専門分野を磨き続ける必要があります。しかしそれは現実には難しいことです。なぜなら学生時代と違って、研究に使える時間があまりにも少なすぎるのです。今回受けたコンクールは、東北にゆかりのある人に限り応募資格があり、さらには予選、本選とも課題曲のみ演奏するとあって、限られた準備時間でも十分に自分をアピールできるのではないかと判断して出場しました。実は昨年度も出場していて、その時は予選落ちでしたので敗因を考えました。その結果、限られた時間で準備する場合はテクニック面で減点されないために、難易度を慎重に考えて選曲する必要があると感じました。コンクールという性質上、誰もが結果に納得するにはどうしてもミスタッチの有無で判定されることが多いのが現状です。しかしそれは本来、芸術としての価値とは全く関係ないことです。なので演奏の芸術的価値を判断するには、コンクールは不向きといえます。たとえ悪い結果になったとしても、惑わされることなく自分の信じる道を貫くことが重要です。コンクールで勝つということは、欠点を指摘しにくい演奏という証明にしかならず、決して価値のある面白い演奏であるとは限りません。今回の予選ではその分析が功を奏したのか、ややミスタッチはあったものの無事に通過することが出来ました。予選ではバッハとベートーベンを弾き、本選ではシューベルト、ショパン、ドビュッシーと演奏しました。バロック音楽、古典派、ロマン派、近現代とさまざまな時代の曲を弾くことによって、その時代特有の表現が出来ているか、聴き手に試されます。曲ごと、あるいは作曲家ごとの良さを引き出すには、時代背景から作曲家が言いたかったことを推測して演奏することが求められます。決して自己流では良さは引き出せないのです。自己流で演奏すると、どの時代の曲も同じ味付けになり聴き手は最終的に飽きます。本選では他の方々が素晴らしい演奏をしたため、私は選外となりました。私が舞台に立ち続ける大きな理由の一つとして「お客さんの前で緊張していても、全ての場面で納得いく表現をしたい」というのがあります。いつか実現したいことです。今回のコンクールではまだまだそこまで行かなかったものの、納得いく瞬間を何度か作れたので満足しています。          (鈴木啓太・音楽科教諭) 

 

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