TOHO Today 桐朋トゥデイ

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中学1年生の英語の授業では、AIが英語の発音を自動採点してくれるELST®を用いた音読練習を取り入れています。今回の授業ではそのアプリを利用するためのオリエンテーションを行いました。今後、家庭学習において継続的に音読練習に取り組みます。初めてのCALL教室(PCで音声や画像と共に語学を学ぶ専用教室)で、様々に用意された英語音読活動を行いました。引き続き、生徒たちが自分で英語の発音の状態を確認しながら、その向上を目指し努力していくことを期待しています。(英語科 K.N)
※ELST®は株式会社サインウェーブの学習用アプリです。

 

 

さる5月9日、中学生が遠足に出かけました。

奥多摩の山々が近い本校では、毎年五月中旬に奥多摩への遠足が中学全学年で実施され、新年度スタートにあたり新しい仲間と交流を深める大切な機会となっています。ここ数年コロナ禍を受けて実施を見送ってきた行事ですが、3年ぶりに復活しました。学年ごとにコースは異なり、中1は高水三山コース、中2は大塚山・日の出山コース、中3は裏高尾縦走コースです。

 

各コースの事前の下見やコース案合図・パンフレットの作成など、行事の企画・運営は教員の指導のもと生徒自身がおこないます。

 

当日は天候に恵まれ、高尾山山頂からは富士山を望むことが出来ました。

 

昼食時の生徒たちのお弁当は、どれもとても美味しそうで、あらためて、保護者の方々からお力添えを頂いていること、強く感じました。

生徒たちの楽しそうな様子は、我々教職員にとって何よりの励みです。
企画・運営にあたった遠足委員の生徒諸君、お疲れ様でした!(M.I)

さる5月9日、高校生のスポーツ大会が開催されました。
春と秋、年に2回行われるスポーツ大会は学年ごとのクラス対抗戦で、生徒たちは卓球・バスケットボール・ソフトボール・サッカー・バレーボールの各種目で競技し、クラス優勝を目指して戦います。


 

企画・運営は生徒会スポーツ大会委員が担当し、種目の選定・ルール設定・タイムテーブル管理・点数処理など、すべての事務処理を担います。競技場の準備に際しては、教員の支援も受けながら、前日・当日朝早くと相応の時間をかけます。


 

また生徒たちは、自主的に、クラスで揃いのユニフォームを用意して競技に臨むことが毎年恒例となっており、色とりどりのユニフォームで、体育館・グランドが彩られました


 

優勝クラスは高1-D組、高2-B組、高3-E組でした。
そんな裏方の仕事に支えられながら、当日は晴天にも恵まれ、生徒たちは座学のない、のびのびとした一日を楽しく過ごしてくれたようです。
全力でプレーした選手の皆さん,そして大会実施に尽力したスポーツ大会委員の皆さんお疲れさまでした!(A.J.)

4月19日、2023年度1学期高校生徒総会を開催しました。
同会では、2023年度生徒会の活動方針を発表したほか、予算案の採決を行いました。

桐朋の生徒会では、クラブ・委員会の予算案を生徒が作成しています。

11月から各クラブ・委員会の代表者と中央委員会会計担当が予算折衝を行い、作成された予算案は、クラブ評議会、中央委員会、生徒総会で可決されることにより執行されます。

4月24日には中学生徒総会も行われ、予算案は無事可決されました。

中央委員会会計・福島結人君
「お金の重みと活動の重みの両方を大切にしながら会計を管理していきたいと思います。1年間よろしくお願いします。」

この2週間で一通りの英語学習の方法を体験し、今日から英語のネイティブスピーカーとの授業が始まりました。初回の授業は、スコットランド出身の先生の自己紹介から始まりました。

 

続けて、イギリスやスコットランドのことを生徒たちに知ってもらおうとクイズ大会を実施しました。生徒たちはイギリス・スコットランドについて知っていることも多く、生徒同士協力して正解を目指しました。

 

最後に、先生に英語で自由に質問できる時間が設けられました。何とか自分たちの言いたいことを伝えようと生徒たちは頑張っていました。自分たちが想定していた以上に英語を理解してもらえたことに、生徒たちは達成感を感じていたようです。

 

引き続きネイティブスピーカーとの英語によるコミュニケーションの機会を用意し、学んだ英語を生徒たちが使えるようになっていくことを目指します。(英語科 K.N)

本校高校3年生の稲田孟さん、小池翔太さんが、現在NY国連本部で開催中の高校模擬国連国際大会(Global Classrooms International High School Model UN Conference、以下、摸擬国連国際大会)に参加中です。

 

本大会は、米国国連協会の主催により開催され、グローバル・クラスルーム日本委員会主催の全日本高校模擬国連大会(Global Classrooms in Japan)にて選出された高校生が日本代表団として参加します。

今回の日本代表団は、本校生徒をはじめ全7校15名の高校生が参加しています。また、摸擬国連国際大会では、小池さんと稲田さんはベトナム大使としての参加になります。

4月26日(水:米国時間)より現地入りし、2日目よりUNDP(国連開発計画)本部と国連日本代表団へ表敬訪問、3日目より摸擬国連国際大会に臨んでいる模様です。

以下、現地より参加中の小池さんより速報レポートが届いていますので紹介いたします。

 

《2日目》
UNDP本部と国連日本代表団へ表敬訪問に行きました。
模擬国連活動を行うものとして、世界の最前線でご活躍される方々のお話をお伺いすることは、模擬国連活動だけではなく様々なことに通ずることで、とても勉強になりました。

《3日目》
会議初日、我々は日本の会議とは異なる雰囲気の中で、私たちが担当するベトナムの政策をより多くの国に周知してもらい、似た境遇の国々と国際社会に対してどのように貢献できるかを話し合いました。
会議序盤は慣れない環境であり、そして英語でのディスカッションに少し消極的になってしまった部分もありますが、だんだんと雰囲気に馴染み、積極的な議論をすることができました。(小池翔太)

引率の教員からの報告では、国際連合開発計画 各国常駐代表の方のお話をうかがうという貴重な機会をいただき、オンラインで参加をしていただきました。かなり熱のこもった話で、みな感銘を受けていたそうです。また、NYに着陸直前には、搭乗機の運営スタッフのみなさまのお計らいで、今回の日本代表の高校生のみなさんを激励するアナウンスが流れたそうです。多くの方のご支援を受け、本校生徒が素晴らしい体験を積んでいる様子が伝わってきています。

緊張感ある中での活動ですが、素晴らしいこの機会を存分に楽しみ、さらなる飛躍を願っています。

後日、報告会の様子もご紹介予定です!

 

 

今年度の中高のそれぞれの入学式では、実に4年ぶりに音楽部の歓迎演奏が行われました。
圧巻の生演奏に、入学生のみなさんからも喜びの声があがっています。

 

音楽部指揮者の高2櫻井くんのコメントと、新入生への歓迎の言葉を紹介します。

まず始めに、80期、83期の皆さん、ご入学おめでとうございます。そして今回の入学式で演奏の機会をいただきありがとうございました。入学式での演奏で多くのことが学べました。

我々音楽部にとって、とてもプラスになりました。本当にありがとうございました。さて、今回の入学式での演奏は、79期が中心となった音楽部での初めての発表の場であったのに加え、実は僕たち79期にとっても入学式の中での初の演奏でした。過去3年間は新型コロナウイルスの影響により音楽部の演奏はありませんでした。一回も式での演奏を経験していない中、いざやってみようとすると中々うまくいかず、いろいろと話し合ったり、意見が割れて揉めたりもしました。そんな中、本番まで僕たちについてきてくれた高1、中学生の後輩たちには感謝しかありません。また、今回の入学式での演奏を通して、改めて部活っていいなと感じました。日頃の音楽部は、ぶっちゃけてしまうとどの部活よりも緩いと思います。長期休暇での部活の遅刻は当たり前だし、先輩後輩間の上下関係も全くないというわけではないですがほとんどありません。運動部なんかがこの光景をみたら、腰を抜かすか冷ややかな目線を送ってきそうです。しかし、そんな音楽部でもやるときはしっかりと切り替えて気合を入れてくれます。今も桐朋祭に向けて真面目に練習をしてくれています。やはり、演奏者がいなければ曲は成り立たない訳ですから、日々そういうところは感謝です。

新入生を迎えるにあたって、(一応)先輩である僕から言いたいことがあります。それは、「学生生活を目いっぱい楽しんでほしい」ということです。中学生はあと6年、高校生はあと3年で卒業です。3年、6年と実際の期間を書いてみると意外と長いなぁと感じるでしょう。しかし、目の前のことを一生懸命、精一杯やってみてください。本当に時間がたつのが早く感じるはずです。その中でいろいろなことを経験すると思います。友達と喧嘩をしたり、一緒に同じ目標に向かって努力することもあるでしょう。テストの結果を競い合ったり、一緒に怒られることもあるはずです。その何気ない日常を楽しんでください。その日常は君にとってかけがえのないものとなるでしょう。また、桐朋は自分のやりたいことを目いっぱいできる環境です。ぜひともその環境を生かしてください。皆さんの学生生活は皆さん自身で作り出すものです。つまり自分の学生生活は、生かすも殺すも自分次第なわけです。
最後に、80期、83期の皆さん、ご入学おめでとうございます。あなたの、あなたにしか味わえない学生生活をぜひ楽しんでください。

高2―D 櫻井 一成 (音楽部指揮者)

新年度が始まりました。
新入生の様子を広報部の教員からご紹介します。

中学1年生の英語の授業を見学してきました。
小学校から学び始めた英語ですが、本格的な学習はこれからです。

今日はまず「ABC song」を歌いました。
久しぶりにこの曲を聴きましたが、40年前とは節回しが異なっていて、
時代の流れを感じました。

ついで、アルファベットを書く練習です。
専用の「四線ノート」に大文字・小文字を記していく姿は、なんとも微笑ましいです。
友人同士でノートを交換し、きちんと書けているかどうか、確認し合います。

 

ついで「日本語由来の『外来語』を探そう!」のコーナーとなりました。
「emoji(=絵文字)」や「Karaoke(=カラオケ)」など、日本から「逆輸入」された言葉を、
友人同士で出し合って、クラス内で発表しました。

そして、授業の最後では、早速に宿題の確認がおこわれました。
 
学習の積み重ねが何よりも大切であるところ、中学1年生が一日も早く学校生活に慣れて、
あわせて、家庭学習の習慣をしっかり身につけて欲しいと思います。(M.I)

 

4月8日(土)に高校入学式が行わ、80期高校1年生の335名が入学しました。
入学式での「校長の言葉」を紹介いたします。

 

「高校入学式 校長の言葉」

ここ国立も、春を彩るさまざまな花が咲き誇り、木々も柔らかに緑をまとう、まさに「春爛漫」といった言葉がぴったりの、美しく、色あざやかな景観となっています。生命の輝きに充ちた本日、新入生の保護者の方々にご臨席を賜り、桐朋高等学校の入学式を挙行できますことを、大変嬉しく、ありがたく感じております。
新入生のみなさん、入学おめでとう。高校生としての第一歩を踏み出しました。今、どんな気持ちですか。少し大人びた気分を楽しみながら、晴れやかさ、誇らしさを感じている諸君が多いことと思います。
保護者の皆様方、ご子息の桐朋高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。ご子息の健やかなるご成長に寄与すべく、第80期高一学年の教員ともども、精一杯取り組んでまいります。何とぞ、私たちの桐朋教育に温かいご理解とご支援を賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。
さて、新入生の皆さん。昨今、広く共感を集めている次の言葉、ご存知ですか。「自立とは依存先を増やすこと」。この言葉は、東京大学先端科学技術研究センター准教授で、小児科医の熊谷晋一郎さんが語ったものです。
熊谷さんは脳性まひによる障害のため、幼い時から車いすの生活を続けています。熊谷さん、東日本大震災でこんな体験をします。
「あの日、私は5階の研究室から逃げ遅れました。エレベーターが止まってしまったからです。他の人は階段やハシゴなど別の『依存先』を使って避難できるが、私は違いました。これが『障害』ということなのかと思いました。そこから、ある考えを持つようになりました。それは、依存先の数の多さと、一つの依存先への依存度の深さとは、反比例の関係にあるということです。依存先が多ければ、依存先から支配されなくなる、と気づかされたのです。
つまり、人間の『自立』とは依存しないこと(in-dependence)ではなく、独占されることなく依存先を多く持つこと(multi-dependence)だ、と」
新入生のみなさん。高校という時期は、まさに自立に向け、自分を高めていく時期です。その際、熊谷先生の言葉は大きなヒントになるように思います。「依存先に支配されぬよう、数多くの依存先を持つ」、表現を改めれば、「自分の可能性を広げるべく、さまざまなつながりを持っていること」。
みなさん、こんなプロジェクト、ご存知ですか。「注文をまちがえる料理店」。「注文を取るホールスタッフが、みんな“認知症”であるレストラン」
仕掛けたのは、小国士朗さん。小国さんはNHKの番組ディレクターとして、「プロフェッショナル 仕事の流儀」、「クローズアップ現代」などの番組を手がけていたのですが、病気を患い、それを機に、NHKのコンテンツをプロモーションする仕事に移り、その後、独立しています。
「注文をまちがえる料理店」というプロジェクト、小国さんの、とある体験がきっかけとなり、スタートしました。「プロフェッショナル」の番組ディレクターとして、小国さんが取材していたのが、認知症介護のプロフェッショナルである、介護福祉士、和田行男さん。介護における和田さんのモットーは次のようなものです。「介護って、その人が生きていくために、その人の持っている力を引き出していくことだと思うのです。人は、誰もが自分の持っている力で生きていく。認知症を患うと、持っている力を自分だけでは使いこなせなくなるので、使えるように応援していくのが僕の仕事。一生懸命生きようとしている人たちがちゃんと応援してもらえる。このことがとても大切だし、そんな社会を作りたいと思い、30年間やってきました」
和田さんのグループホームで生活する認知症の方々は、買い物も料理も掃除も洗濯も、自分ができることはすべて自分でやっています。
取材の際、小国さん、グループホームで生活するおじいさん、おばあさんが作る料理を何度かごちそうになっていたのですが、その日の食事は強烈な違和感とともに始まったのだそうです。というのも、小国さんが聞いていた献立はハンバーグ。でも、食卓に並んでいるのは、どう見ても餃子。ひき肉しか合っていません。小国さん、「あれ、今日はハンバーグでしたよね?」、この言葉がのど元までこみ上げます。でも、踏みとどまります。「これ、間違いですよね?」の一言で、和田さんたちと、おじいさん、おばあさんとで築いている、この“当たり前”の暮らしが台無しになってしまう、そう感じた小国さん。こう考えを改めます。「ハンバーグが餃子になったって、別にいい。誰も困らない。おいしけりゃ、なんだっていいんです。それなのに、『こうじゃなきゃ、いけない』という“鋳型”に認知症の方をはめ込もうとする。そうすると、どんどん介護の現場は窮屈になってしまう。介護の世界を変えようと、日々闘っているプロフェッショナル。その方を取材したいと思い、この場にいる僕が、ハンバーグが餃子になっただけのことに、なんでこだわっているんだ、と思い知り、ものすごく恥ずかしくなったのです。そして、この瞬間、『注文をまちがえる料理店』というワードが浮かんだのです。」
小国さん、こんなことを、話しています。
「僕はこれまで数多くの社会課題を取材してきましたが、その中で、一つ思っていたことがあります。それは、『社会課題は、社会受容の問題であることが多い』ということ。
社会課題解決のためには、もちろん、法律や制度を変えることが重要です。
でも、僕たちがほんのちょっと寛容であるだけで、解決する問題もたくさんあるんじゃないかなぁと思っていました。『注文をまちがえる料理店』も同じ発想です。
当たり前ですが、この料理店によって認知症のさまざまな問題が解決するわけではありません。
でも、間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ。そんな新しい価値観を、この料理店から発信できたら。そう思ったら、なんだか、無性にワクワクしてきたんです」
小国さん、「注文をまちがえる料理店」実現に向け、走り出します。まずは仲間集め。「注文をまちがえる料理店」の企画を伝えると、わずか2か月あまりで、デザインや外食サービス、そして、認知症介護の和田さんなど、各分野の最高のプロフェッショナルが集まり、実行委員会が発足。
プロフェッショナルとともに決めた店のコンセプトは、次の2つです。
1つ目が、「料理店として、ご来店いただいた方が十分満足できるよう、味にこだわること」。
そして、もう1つが、「間違えることが目的ではない。だから、わざと間違えるような仕掛けはしない」。
この、2つです。
1つ目について、小国さん、こんな理由を挙げています。「僕たちの中に、『福祉として“いいこと”をやっている』という意識が出てくると、甘えが生じる可能性があります。『どの料理が出てきてもおいしい』。これが担保されて初めて、間違えられても笑って許せる、そんな雰囲気が生まれるのでは、と思いました」
2つ目については、こんなことを語っています。「間違えるような仕掛けをしないかどうか、本当に悩みました。お客さんは『間違え』を期待して、このレストランにいらっしゃるのでは、と思ったのです。でも、認知症の方がわざと間違えるよう設計するのは、本末転倒な気がしました。ホールスタッフをする認知症の方は、『間違えていい』と言われてはいるのですが、だからといって、間違えたくはないのです。『きちんとやりたい。間違えたら、恥ずかしい』と思う気持ちは変わりません。間違えないように最善の対応を取りながら、それでも、間違えちゃったら許してね、こういう設計にしようと、メンバーの考えが一致しました」
この「注文をまちがえる料理店」。いざ実施すると、大変な反響を呼びました。国内のメディアだけでなく、150ヶ国あまりで話題となり、国内外で数多くの賞を受賞します。
大きな反響を呼んだ理由について、小国さん、こう語っています。
「注文を取るのかなと思ったら、昔話に花を咲かせてしまうおばあさん。お客さんもそのまま和やかに談笑している。間違った料理が出てきても、お客さん同士で融通し合い、苛立ったり、怒ったりする人は誰もいません。あちこちでたくさんのコミュニケーションが生まれ、間違えていたはずのことがふんわり解決していく。
忘れちゃったけど、間違えちゃったけど、まぁ、いいか。そう言えるだけで、そう言ってもらうだけで、その場の空気が優しいものに変わる。この優しい空気感が世界中の人々を惹きつけたのかもしれません」
小国さん、こんなことも話していました。
「『注文をまちがえる料理店』では、『寛容』ということをキーワードに掲げてきました。
でも、寛容という言葉、『許して受け入れる』という意味で、ちょっと、上から目線の言葉なんです。だから、ぼくは少し違和感を持っていました。
だからこそ、料理店の様子を見ていたスタッフが発した『自然だなぁ』という言葉がとてもしっくりきたのです。認知症を抱えるホールスタッフは、誰に言われるでもなく、コップに水がなくなれば、すっと注ぎにいき、床にごみが落ちていれば、ホウキでさっと掃いていました。
お客さんも、さほど間違いを期待してはいませんでした。それより、認知症を抱えるホールスタッフとの会話や交流を楽しめて良かったという人がとても多かったのです。
もう1つ気づいたことがあります。認知症の方を見つめるお客さんの視線が、こちらが不思議に思うほど、キラキラとしていたこと。
どうして『キラキラ』が生まれるのか。その答えは、ホールスタッフの認知症のみなさんが堂々と自信をもって働いていたからだと思います。
『注文をまちがえる料理店』は、間違いがあってもなくても、認知症があってもなくても、その場にいることをみんなで楽しめる空間になっていると感じました」
認知症の方々にとっての「自立」。それは、〝鋳型〟に嵌められるのではなく、自分ができることは自分で行い、それとともに、グループホームのスタッフにしっかりと見守られ、必要な時は依存できること。「注文をまちがえる料理店」においても、「間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ」という環境の力で、その場にいるすべての人々と良い関係が築けています。
小国さんにとっての「自立」。「注文をまちがえる料理店」というアイディアも、小国さんが生み出したというより、グループホームで自らを恥じた体験によってひらめいたものですし、「注文をまちがえる料理店」も、各分野の最高のプロフェッショナルの助けで、さらに、お客さん、そして何より、認知症の方々によって実現できたもの。自らの可能性を高めるべく、多くのつながりを持てていたからこそと言えます。
新入生のみなさん。小国さん、実は本校の卒業生です。小国さんの、周囲との関わり方、社会課題に対する取り組み方、その一つ一つに、他者を尊重する、ともに過ごす場を大切にする姿勢が強く感じられます。
桐朋生の特徴の一つに、「個性の輝き」があります。一人ひとりが探究心を発揮し、自分の世界を形作っていく。そのバイタリティとユニークさにしばしば感心させられます。
そして、それを支えているのが、お互いを尊重し、認め合う姿勢です。お互いの関係性があるからこそ、自然体で過ごせるし、自分に自信が持てる。だからこそ、個性は輝くのだと思います。
新入生のみなさん。改めまして、入学おめでとう。
80期のみなさん一人ひとりの「自立」。そして、みなさん同士の関わりを通して、一人ひとりの「個性」がどんな輝きを見せるのか。大いに期待していますし、楽しみにしています。
高校の3年間を、一緒に実り豊かなものにしていきましょう。

4月8日(土)に中学入学式が行われ、83期中学1年生の258名が入学しました。
入学式の後には、クラス毎に集合写真を撮影しました。
入学式での「校長の言葉」を紹介いたします。

 

「中学入学式 校長の言葉」

ここ国立も、春を彩るさまざまな花が咲き誇り、木々も柔らかに緑をまとう、まさに、「春爛漫」といったことばがぴったりの、美しく、色あざやかな景観となっています。生命の輝きに充ちた本日、新入生の保護者の方々にご臨席を賜り、桐朋中学校の入学式を挙行できますことを、大変嬉しく、ありがたく感じております。
新入生のみなさん、入学おめでとう。中学生としての第一歩を踏み出しました。
今、どんな気持ちですか。緊張とともに、晴れやかさ、誇らしさを感じている諸君が多いことと思います。
保護者の皆様方、ご子息の桐朋中学校へのご入学、誠におめでとうございます。ご子息の健やかなるご成長に寄与すべく、第83期中一学年の教員ともども、精一杯取り組んでまいります。何とぞ、私たちの桐朋教育に、温かいご理解とご支援を賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。
さて、新入生の皆さん、一冊の絵本の紹介から話を始めたいと思います。アメリカの絵本作家、シェル・シルヴァスタイン。シルヴァスタインは、「哲学的」とも呼ぶべき、深く考えさせられる内容を、絵本という形で問いかけてくる作品をいくつも書いています。
今日、紹介するのは、「はぐれくん、おおきなマルにであう」。この作品、「ぼくを探しに」という、別の作品の続編になっています。「ぼくを探しに」とは、どんな内容かというと、円の形をした「マルくん」が、かけらにあたるミッシングピースを失ってしまいます。そのマルくんが、自分の足りない部分、ミッシングピースを探しに行くというお話です。
そして、「はぐれくん、おおきなマルにであう」は、今度は、ミッシングピースにあたる「はぐれくん」が主人公となって、はぐれくんの形とぴったり合い、自分がすっぽり収まることのできる、一部分の欠けた大きなマルくんが通りかかるのを、はぐれくんはひたすら待ち続けるという内容でして、二つの作品は対になっています。
このうち、「はぐれくん、おおきなマルにであう」を翻訳したのが、村上春樹さん。村上さんは「あとがき」でこんなことを語っています。
「missing pieceというのは、『あるべきなのに、欠けている部分』ということですね。それは、くさびのような形をしています」「どちらのお話にも共通しているのは、『自分はじゅうぶんではない』と主人公たちが考えていることです。マルくんは『自分には大事な一部が欠けている』と感じているし、はぐれくんは『自分はもっと大きな何かに含まれるべきだ』と感じています。そして、一緒になる相手を見つけようと、どちらも懸命に努力します。でもなかなかうまく相手が見つかりません。やっと正しい相手が見つかったと思っても、いろいろあって結局うまくいきません。その努力をいわゆる、『自分探し』ととらえることもできるでしょうし、自分を正しく理解し、受け入れてくれる他者の探索、ととらえることもできるでしょう。でもいずれにせよ、そういう相手は簡単には見つからないものです。僕らの人生においても、だいたい同じようなことが言えますよね」「でも最後にはいろんな経験を通して、マルくんもはぐれくんも、『大事なのはふさわしい相手(他者)を見つけることではなく、ふさわしい自分自身を見つけることなんだ』と悟ります。そしてようやく心穏やかな、平和な境地に到達します。なんだか哲学的ですね」
新入生のみなさん、みなさんがこれから過ごす中学・高校という時期は、自分の、さらには今後の人生の土台となる部分を形作る大切な時期です。今日、出逢った桐朋中学の教員、そして、何よりクラスメイトとともに、日々の学校生活や行事、クラブ活動に取り組む中で、多くの体験をし、さまざまなことを感じ、考えることで、健やかに、逞しく成長を遂げ、みなさん一人ひとりが土台となる部分をしっかりと築きあげてほしいと願っています。
そして、そうした日々の中で、さらには、そうした時期だからこそ、時に、「欠落感」、「あるべきものが、欠けている」という思いに駆られることもあるように感じます。「自分はこれでいいのだろうか」、「楽しくはあるのだけれど、何か物足りない。満たされた感じがしない」。こうした思いに駆られ、「自分探し」、「自分を正しく理解し、受け入れてくれる他者の探索」に励む時が、誰しもあるように感じます。だからこそ、本日、紹介した「はぐれくん、おおきなマルにであう」という作品が、多くの人に読まれ、大切にされているのだと思います。
絵本作家の五味太郎さん。コロナ禍となり、先行きの不透明さ、社会の不安定さが増す中、五味さんは子どもたちに向け、さまざまなメッセージを届けていました。例えば、こんなメッセージです。
「いまは、子どもも大人も本当に考える時期。『じょうぶな頭とかしこい体になるために』という本を書いたことがあるけど、戦後ずーっと『じょうぶな体』がいいと言われてきた。それはつまり、働かされちゃう体。『かしこい頭』というのは、うまく世の中と付き合いすぎちゃう頭で、きりがないし、いざという時に弱いからね。今こそ、自分で考える頭と、敏感で時折きちんとサボれる体が必要なのだと思う」
「学校も仕事も、ある意味でいま枠組みが崩壊しているから、ふだんの何がつまらなかったのか、本当は何がしたいのか、ニュートラルに問いやすいときじゃない?」
さらに、五味さん、こんな指摘もしています。
「心っていう漢字って、パラパラしてていいと思わない? 先人の感性はキュートだな。心は乱れて当たり前。常に揺れ動いて変わる。不安定だからこそよく考える」
五味さん、世の常識と思われているものに、安易に取り込まれたり、すがったりせず、自分で考え、自分が本当に理解できる、納得できることを探しています。絵本作家としてのこんな指摘も、実に興味深いと感じます。
「ちょっと格好良く言えば、絵を描くことっていうのは、描かないことがどのくらいあるかということ。描かれなかったことについて、自分では描く気がなかったことについて、気になる。お話や画面の都合上はあるにしても、本当は、画面だけの勝負じゃないんだよねっていうのは。描くときには持っておかないとね」
こうした視点を持つことは、絵を描くことだけでなく、自分を知る、自分に対する理解を持つ、さらには、その理解を深めていく上で大切な指摘だと感じます。
新入生の皆さん。桐朋中学校が大切にしていることは「自主的態度を養う」ことです。自主的とはどんなことだと思いますか。自分の意思で、自分の力で取り組むことを意味します。桐朋で学校生活を送る中で、自主的に取り組む意義・価値を、みなさんに自覚してほしい。自主的に取り組む魅力を実感してほしいと願っています。
実は、五味さん、本校の卒業生です。本校が大切にしている自主性は、五味さんの「自分」というものをしっかりと持ち、自分が納得いくまで考え続ける姿勢。自分なりのものの見方、考え方を掘り下げ、探究する姿勢と深く通じ、大いに重なっているように感じます。
五味さん、こんな話もしています。
「充足している大人は、自分からは何も言わない。穏やかに若者を見ている。ぼくは中学では体操部で、そこでも、すぐに何か言ってくる大人と、じっと見ている大人がいた」「穏やかに見ている大人は、自分からは何もいわなくても、質問されたら丁寧に答えてくれる。自分ではわからない点も、『わからない』ということも含めて説明してくれる。そういう『大人の正義』みたいなものを味わいながら、人間って成長していくんじゃないかな」
さらに、こんなことも話しています。
「いちばん必要なのは『わかっている』人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも、『わかろうとしている人』です」「高校のときにも、そういう『現役』の教師がいました。ぼくが変な質問をしたら、その先生もわざわざ調べてきてくれたんです。廊下で呼び止められて――そのときにはぼくは質問したことすら忘れてたんですが、一所懸命説明してくれて、参考文献まで貸してくれました。そのとき、彼がとってもうれしそうだったのを覚えています」「その人のことはずうっと好きだったし、一目置いていました」
五味さんが本校の生徒だった頃と変わらず、みなさんと「大人の正義」にあたる形で関わりを持ちながら、みなさんと一緒に、われわれ教員も「現役」として学んでいきたいと考えています。
そしてもう一つ。桐朋中学校は、「自主的態度を養う」ことに加え、「他人を敬愛する」、「勤労を愛好する」ことを教育の実践目標に掲げ、周りの人に敬意を払い、積極的に関わる行動力を持つ姿勢を大切にしています。
最初に取り上げた絵本、「はぐれくん、おおきなマルにであう」で、はぐれくんが「大事なのは、ふさわしい自分自身を見つけることなんだ」と悟るまで、はぐれくんは一緒になる相手を見つけようと、懸命に他者と関わりを持ちます。一向に相手が見つからない。見つかったと思っても、結果的に実を結ばないという失敗、挫折を繰り返しながらも、粘り強く他者と関わる体験を積み重ねます。悟る、真に理解することは、他者と積極的に関わり、行動する体験を重ねる中で、納得できる、実感が持てるようになるのだと思います。
ぜひ、桐朋で出逢った仲間とともに多くの体験を重ね、すぐに答えの見つからないような難解な問いにも、果敢にチャレンジしてください。
今年3月に亡くなった作家の大江健三郎さん。大江さん、こんな言葉を残しています。
「教わって『知る』、それを自分で使えるようになるのが『分かる』。そのように深めるうち、初めての難しいことも自力で突破できるようになる。新しい発想が生まれる。それが、『悟る』ということ」
新入生のみなさん、改めまして、入学おめでとう。桐朋での学校生活において、われわれ教員も、「現役」として、「わかろう、わかりたい」と懸命に探究を続けますので、みなさんも、みなさんを高めていく力となり、支えともなる、「自主的態度」、「他者を敬愛する心」、そして「積極的に行動する姿勢」を、桐朋生としてしっかりと身につけ、「知る」から「分かる」、さらには「悟る」にまで至る、そんな学びを実践してください。皆さんの頑張り、大いに期待をしています。

 

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