お知らせ

【手のひらの授業 第8講】

2020年5月12日

進歩する機械と人間


「琴につくりて、さまざまなる音の出で来るなどは、をかしなど、世の常に言ふべくやはある。いみじうこそめでたけれ。」清少納言が、『枕草子』のなかで桐の木について表現している有名な一節です。平安の昔から、琴や筝の材質は桐と決まっていました。奏でられる音の多様さは、「面白いなどという世間並みの言葉で表現できるものではない。それほどに素晴らしい。」のです。          (2018年桐朋祭“奏”パンフレットより)


桐朋という校名の由来は、みなさんも聞いたことがあるでしょう。桐朋学園の前身である第一山水中学校は、軍人軍属の子弟の教育を目的として昭和16年に開校しました。それからわずか4年、太平洋戦争の敗戦とともに、第一山水中学校をめぐる状況は一変します。陸海軍と関わりの深かった山水に対して、連合国軍総司令部(GHQ)は厳しい査察を行いました。誰もが山水の廃校を覚悟したそうですが、学校関係者はなんとか学校存続の道を探り、当時の東京文理科大学学長の務台理作博士、東京高等師範学校幹事長花井徳次氏との協議の末、東京文理科大学の指導協力の下で新財団を設立して、学校の運営を移管することが決まりました。東京文理科大学はのちの東京教育大学、現在は筑波大学に改組されていますが、その校章は東京高等師範以来の伝統の桐の校章、その協力校ということで、新財団は桐朋と名付けられたのです。

ゴールデンウィークの間、正門から西へ何本か立つ桐の木が、満開の花をつけました。かの清少納言が、「桐の木の花、紫に咲きたるはなほをかしきに…こと木どもとひとしういふべきにもあらず。」と評した香り高い桐の花は、やはり私たちにとって特別な存在です。

この一か月ほどの間、私たちの社会は、政府の専門家会議のメンバーでもある北海道大学・西浦博教授の「他者との接触機会を8割減らすこと。」という提言を合言葉のように共有して生活をしています。それまで、そもそも自分が日ごろ何人の他者と接触しているのかを自覚して生活していた人は少ないだろうと思います。通勤電車の同じ車両に乗り合わせただけで接触なのか、接触した人数だけではなく、接触した時間の長さは問題ではないのか…この言葉を初めて聞いた時、わかったようなわからないような感覚が残りました。そのうちに、テレビではこんな数値が盛んに報じられるようになりました。「5月1日午後3時の渋谷駅の人の流れは、感染拡大前と比べて71.7%減少…(日本テレビ)」といった具合です。数値目標を示すことは、物事をシンプルに考えることで混乱をしずめる効果があります。この数字を80%以上にすることが大切なんだ、とみんなが考えました。

この数字は、携帯電話の位置情報をもとに割り出しています。3月31日、政府は大手IT企業や携帯電話会社に、各社が保有する統計データを、個人が特定されない情報として提供するように求めました。3月18日付ロイター通信によると、中国や韓国、台湾ではスマートフォンの位置情報から、陽性と判断された人が誰と接触したのかを追跡しているそうです。パーソナルデータと情報通信技術の活用は、感染症対策で大きな力を発揮しますが、その一方で、常に「デジタル監視」やプライバシー侵害の危険と背中合わせであることを忘れてはいけません。政府による活用を巡っては、目的や範囲を第三者がチェックするなど、透明性の高い仕組みが必要です。

かつてアメリカのNSA国家安全保障局で、インターネットの電子通信や電話を盗聴する活動に従事していたエドワード・スノーデンという青年が、アメリカ連邦政府の監視捜査の実態をイギリスの『ガーディアン』やアメリカの『ワシントンポスト』にリークしたのは、2013年6月のことでした。光ファイバーに直接アクセスして膨大なインターネット通信を取得していたこと、グーグルやフェイスブックといった世界に名だたるインターネット会社に顧客の個人情報を提供させていたこと、議会や裁判所の監督が実質的に骨抜きとなっていたことなどが、次々に暴かれていきました。

情報漏えい罪など数十の容疑で追われる身となったスノーデン氏は一時難民認定を受けたロシアに入国し、現在に至っています。2016年6月4日、東京大学で開かれた日本の自由人権協会70周年シンポジウム「監視の“今”を考える」に、インターネット回線で参加したスノーデン氏は、権力による大規模監視の実態と民主主義の危機について語りました。その話の内容を中心にまとめられた集英社新書『スノーデン 日本への警告』が2017年4月に刊行されましたが、これは本当に興味深い一冊でした。

みなさん、自分がどこにいても携帯電話がなぜつながるのか、考えたことがありますか。スノーデン氏によれば、携帯電話は常に「私はここにいます、私はここにいます」と叫んでいるようなものです。全ての携帯電話の基地局がこの叫びを聞いています。その声が一番大きく聞こえる一番近い基地局が、あなたはここにいるのですねと常に登録しているわけです。その情報は電話会社に送られ、電話会社が登録をアップデートして、あなたはここにいましたという記録を残します。あなたが別の場所に動くたびに、電話会社は最も近い基地局を更新し続けます。こうして、一日中の全ての移動の記録が完全に残るのです。あなたがその日、どこに行ったのか、何の映画を見たのか、どんな集会に参加したのか、そしておそらく、誰と会ったのかまでわかるデータが、毎日記録され続けているのです。

さらに言えば、私たちはiPhoneやAndroidで様々なことを検索します。私たちがグーグルの検索ボックスに入力した単語の記録は、実は永遠に残るのだそうです。グーグルの検索記録がなくなることはないのです。その記録は、あなたがどういうニュースを読んだのか、誰とどのくらいの頻度で接触したのか、何に興味を持っているのかを証言するものです。どこに行くか、何に興味を持つか、それは私たちの私的な生活そのものです。スノーデン氏はNSAで、それを把握する仕事をしていたのでした。

2013年のスノーデン・ショックをきっかけに、何度目かのブームを迎えた有名な小説があります。それはイギリスの作家ジョージ・オーウェルが1949年に発表したSF小説『1984』です。舞台は、第三次世界大戦後の国家「オセアニア」。そこは独裁者「ビッグ・ブラザー」が支配する監視国家で、長らく戦時下にあり、個人の自由や思想が厳しく統制され、食料や衣服などの物資は常に不足しています。政府は、発信も受信もできる「テレスクリーン」と呼ばれるデバイスを使ってプロパガンダを垂れ流す一方で、市民の行動を常に監視しています。スノーデン・ショックの64年も前に、個人情報が危機にさらされる未来を予測したのがこの『1984』だとして爆発的な売れ行きを記録しました。他にも、1970年代には当時のニクソン米大統領のベトナム戦争時の二枚舌政策やウォーターゲート事件での発言の歪曲ぶりが、『1984』のなかに登場する“ニュースピーク”~思想を強制するために生み出された新しい言語を思わせると評判になったり、2017年1月20日のドナルド・トランプ大統領就任式直後の1月23日、わずか2日間で9500%の売り上げ増を示してアマゾンUSA版のベストセラーリストの上位に躍り出たりと、『1984』は第二次世界大戦後の世界に、一貫して警報を鳴らし続けてきました。

私は、スノーデン・ショックから半年たった2014年の年明けのいくつかの新聞記事が、強く印象に残っています。たとえば1月4日の朝日新聞『天声人語』は、機械と人間について面白いエピソードを紹介していました。真珠湾攻撃の翌年に開かれたある座談会の席上で、「機械文明は近代西洋、とりわけ米国のものであるが、敵の産物だからといって否定はできない、うまく使いこなすのだ」という主張に対し、河上徹太郎と小林秀雄という二人の批評家が反発したのです。河上は「精神にとって機械は眼中にない」と言い、小林は「賛成だ。魂は機械が嫌いだから。」と同調しました。かなり無理のある反論に聞こえますが、実はこの天声人語は、その前日のある記事を受けて書かれていました。

1月3日の朝日新聞「異才面談」という特集記事が紹介していたのは、国立情報学研究所で人工知能開発に携わる新井紀子教授のプロジェクトでした。今でこそ、AI研究の分野で新井紀子教授の名を知らぬ人はいませんが、不勉強だった私が新井教授の研究を知ったのはこの時が最初でした。記事の内容はこうです。


彼女が、人工知能を東大に合格させる「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトを開始して2年、彼女のチームが作った人工知能は大手予備校の模試で私大579校のうち407校で合格可能性80%を突破しました。東大はまだ合格圏外だそうですが、2021年の合格を目指しているとのこと。将棋やチェスの世界では、人工知能が人間を凌駕する時代です。東大理系の数学模試でも、ほとんどの受験生が正答できない難問を、人工知能はあっという間に解いてしまいます。ところが、意外にも人工知能は、人間にとって簡単なことほど不得意です。幼稚園児が解ける「この絵の中で仲間はずれはどれ?」という質問はまだ解けません。


そもそも新井教授のプロジェクトの目的は、何だったのでしょうか。教授はその目的を、「知的作業のうち何を機械にさせ、何を人間がした方が効率が良いかを探ること」と言っています。人工知能の進化は、機械が事務労働者にとって代わる可能性をはらんでいます。人工知能によって「1000字の内容を50字に要約する」といった論旨要約が可能となる段階に進めば、おそらく全ての事務労働者が何らかの影響を受けるだろうと、この時新井教授は指摘しています。

ちなみに、同じ1月3日の紙面には、「第一次世界大戦の遠近法」という特集記事の二回目が掲載されていました。2014年は、ロボット戦争を巡って人類が本格的な議論を始めた年として記録されそうだという一文から、その記事は始まります。完全自律型ロボットが戦争に投入されれば、人間の兵士の代わりに、標的を自分で探し、攻撃完了までを担う「殺人ロボット」となります。その定義や是非について話し合う国際的な専門家会合が、5月に予定されていたからです。

倫理学者の加藤尚武氏は、第一次世界大戦こそ、兵士が人でなくなる時代の始まりだったと言います。とりわけ、機関銃の導入は、ボタンを押して敵を倒すゲーム感覚に通じるものがあり、個人の死を、死者数という数字に変えてしまいました。そんな戦争の『脱人格化』が機関銃から始まり、空爆、核兵器の使用、そしてついにはロボット兵器へと進むのでしょうか。対テロ戦争を契機に、アメリカは軍事用無人機を本格的に実用化しました。今、多くの国々がこぞってそうした兵器の開発を進めています。国家でなくても、ロボットを用いる資金さえあれば個人も戦争主体となり得ると考えれば、それは大変に恐ろしい事態です。

こうした話題はみな、「人間とは何か」という問いを投げかけるものです。道具を作り、それを用いるという点で、人間は他の動物と区別されます。人間が作り出した道具が、逆に人間を支配するという図式が、単なる空想にとどまらず、今やはっきりと形を伴って現実化しつつあるのです。みなさんの手のひらに収まるサイズの情報端末に、みなさん自身が操られる危険性は常にあります。「精神にとって機械は眼中にない」とうそぶいた河上徹太郎は、今のこの時代をどう評するでしょうか。