お知らせ

【手のひらの授業 第7講】

2020年4月30日

本との出会い

校長の12ヶ月のなかでも、3月から4月にかけての仕事は特別です。春休みをはさんで小・中・高の卒業式、終業式、入学式、始業式が連なり、年度初めの教職員会議や理事会でのスピーチ、さらには卒業文集とか校報などの原稿も押し寄せて来ます。

数えきれないスピーチ草稿や原稿を短期間のうちに用意するには、新しい知識を学ばなければなりません。平たく言えば新鮮なネタを仕入れなければ新鮮な話にはならないからです。「これは」と思って購入した何冊もの書籍を手当たり次第に斜め読みしたり、新聞記事やテレビ番組にまで注意を払って、やっとのことでそれぞれの文章を仕上げています。

時間に追われるなかで、たいていは新聞やネットで評判を知った書籍をネットで購入することになります。この「手のひらの授業」でもこれまで何冊かの本を引用して来ましたが、大概はそのようにして購入したものです。でも、そういう生活を続けていると、何だか欲求不満になるものです。IT社会の落とし穴としてしばしば「フィルターバブル」という言葉が使われますね。オンラインメディアUpworthyの創立者であるイーライ・パリサーが2011年にその著書『The Filter Bubble』のなかで提唱した概念で、インターネットの検索履歴が「フィルター」となって同じような情報ばかりが表示されてしまい、その結果、まるで泡の中にいるように、自分が見たい情報しか見えなくなってしまうことを指します。私が「これは使えそうだ」と思って購入する本というのは、結局はその時点で私自身が「こういう話をしたい」と思っているその範囲に収まるものでしかなく、自身の視野を広げたりモノの見方を変えるような体験は得られないのかも知れません。

理想を言えば、本は、友人と同じように“出会うもの”でなければなりません。予期しない形で不意にあらわれる出会いを活かすことで、人間はその幅を広げることができるのです。「このような結果を(利益を)得られるはずだ」という予想にもとづいて選んでいるだけでは本当の友人ではありません。本との本当の出会いを果たすためには、やはり出会いの場が必要となります。今はコロナウイルス感染症という事情もあってなかなか外出できませんが、時には誘い込まれるままに時間を忘れて書店の棚を眺めて歩くような機会を持ちたいものです。

その書店が今、日本中の街からものすごいペースで姿を消しています。1999年に全国に2万2,296店の書店がありました。それが、昨年5月の時点では1万1,654店、ざっと20年で1万600店が無くなっているということは、延々20年間にわたって毎日1.5店の書店が姿を消している計算になります。インターネットが急速に普及した今、私たちは手のひらのスマートフォン一つでどんな情報も手に入ります。本を読まなくても大概のことは理解できますし、もし欲しい本があったとしても、ネットで注文すれば手に入るのです。ネットの利便さとの引き換えに、本との真の出会いの場であった書店が急速に消えゆく社会。その社会で、枯渇していくものがあるとすれば、それは何でしょうか。

2010年、英・ガーディアン紙が選んだ「The world’s 10 best bookshops(世界で最も美しい本屋10選)」の中に、日本の書店がランクインしていることを知っていますか。1797年にロンドンのピカデリーサーカスに開店以来、英国最古・王室御用達の書店として知られる「ハッチャーズ」を抑えて、堂々9位に名を連ねたのは、京都の住宅街にある目立たない書店「恵文社一乗寺店」です。出町柳駅から叡山電車に乗って3駅目の一乗寺駅で下車、曼殊院道を高野川方面に3分ほど歩いた道沿いにあります。知らない人は、雑貨店とか喫茶店が連なっているように見間違えそうなレンガの壁と観葉植物、そして室内の暖色の照明に誘われてドアを開けると、確信はないですがおそらく桐朋図書館くらいの広さの店内に、たくさんの書籍と生活雑貨が並んでいます。初めて訪れる人は「世界で最も…」という言葉に多少構えて足を踏み入れるでしょうが、その店があまりにさりげなく、普段着の空間であることにきっと驚くと思います。私もその一人でした。

一般的な書店では、例えば文庫本は出版社ごとに、アイウエオ順で並べられています。目指す一冊を、短時間で探すにはその方が便利です。しかし恵文社では、出版社ごとではなくテーマ別に本を並べています。若くして書籍部門の責任者を務めている鎌田裕樹さんは、「お客さんからしたらウチは本を探しにくい店だと思います。そのかわり、その人が知らない本とか、知らないジャンルだけど実は隣り合っている本を、グラデーションのように提示できる。ジャンルもはっきり分けていないので。知らないもの、偶然出会ったもの、そういった本との出会いを大事にしてもらいたいのです。」と言います。鎌田さんのこの言葉は、あらゆる本を読み込んだ上で、それぞれをお互いに関連付け、あたかも物語を編むように書棚を仕上げていくために費やされた、膨大な時間に裏づけられています。文学や芸術、生活の本、漫画など、全く別のジャンルでも、そうした本の底に流れている「普遍性」を見つけることが書棚づくりにつながっていくと鎌田さんは述べています。

自宅の書棚を、アイウエオ順に並べる人はまずいません。本を愛おしむ人は、一冊一冊に意味を与え、“その本をそこに置く必然性”を意識して書棚に並べているはずです。学生時代に恵文社でアルバイトを始め、25歳になった2002年から2015年まで恵文社の店長をつとめた堀部篤史さんは立命館文学部、その堀部さんから恵文社を引き継いだ鎌田さんは同志社の人です。そうしたスタッフの若々しい探究心と、挑戦をためらわない前向きさが、この書店の書棚にはあふれています。書店でありながら、誰かの書斎に入り込んだような感覚を味わいながら、お客さんはゆっくりと時間をかけて恵文社の店内を歩き、次々に現れる本との出会いを楽しむのです。絵本のコーナーでは、桐朋58期OBの数学者・森田真生君の絵本を見つけました。京都在住の森田君は、恵文社で開催されるイベントによく招かれるそうです。

未知なる本とお客さんを、もっと意識的に出会わせる本屋さんもあります。例えば北海道砂川市にあるいわた書店の社長・岩田徹さんは、2006年に「一万円選書」という仕組みを編み出しました。お客さんに、代金一万円と、カルテを送ってもらい、そのカルテをもとに、岩田さんは一万円分の本をお客さんに送るのです。この「一万円選書」というサービスは様々なメディアに取り上げられて話題になり、昨年あたりは全国からの応募者が3,000人待ちという人気ぶりだったそうです。

このカルテには、岩田さんからのこんな質問が並んでいます。「これまでに読まれた本で印象に残っている本のBEST 20をお教え下さい。」「これまでの人生でうれしかった事、苦しかったこと等を書き出してみて下さい。」「何歳のときの自分が好きですか?」「上手に歳をとることが出来ると思いますか?もしくは、10年後どんな大人になっていますか?」「これだけはしないと心に決めていることがありますか?」「いちばんしたいことは何ですか?あなたにとって幸福とは何ですか?」気がついた人がきっといるでしょう。詩人・長田弘さんの『最初の質問』と重なっていますね。お客さんはおそらく長い時間をかけてそれまでの自分を振り返りながら、このカルテを書くことでしょう。A4用紙3枚という所定の分量を超えて、長々と書いてよこす人もいるそうです。

岩田さんはそのカルテをじっくりと読み、お客さんがすてきな本と出会えるように、お客さんが自分では決して選ばないような本を選んであげるのだそうです。これがもし人工知能なら、お客さんのカルテをもとに、お客さんが好みそうな本ばかり選ぶでしょうね。本の知識と、人間の心について深く理解している岩田さんならではの発想です。相手の心に寄り添いながら、新たな発見へと導く、人間はなんと思慮深く、繊細な共感力を持っているのでしょう。

劇作家の井上ひさしさんは、新潮文庫『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』のなかで、ある書店での印象深い出会いについて紹介しています。この本は、井上さんが岩手県一関市で1996年11月15~17日に開催した「作文教室」での講義をまとめたものです。井上さんはかつて中学3年生の頃、昭和24年4月から150日間を、一関で過ごしました。当時、市内の目抜き通りに一軒の大きな書店がありました。井上さんが店を覗くと、おばあさんが1人で店番をしています。生意気盛りのいたずらで、おばあさんの目を盗んで一冊の国語辞典を持ち出そうとした井上さんは、おばあさんに見つかって店の裏手に連れて行かれました。「そういうことばかりされると、私たち本屋は食べていけなくなるんです。」おばあさんはそう言って、井上さんに薪割りを命じました。井上さんはそれをてっきり罰だと思ったそうです。しかしおばあさんは薪割りを終えた井上さんにその国語辞典を手渡して、「働けば、こうして買えるのよ。」と諭しました。薪割りの労賃から辞典代を差し引いた残りだというお金までくれたそうです。「おばあさんは僕に、まっとうに生きることの意味を教えてくれたんですね。」

その時の恩を忘れない井上さんは、半世紀も経ってから、全くのボランティアで引き受けた「作文教室」の終わりに、こう話しました。「わたしは、この一関に大変な恩を受けました。わたしは、わたしなりに一関のみなさんに“恩送り”をしたい。“恩送り”というのは、誰かから受けた恩を、直接その人に“恩返し”するのではなく、別の人に送る。送られた人がさらに別の人に渡す。そうして、“恩”が世の中をぐるぐる回っていく。そういうものなのですね。」

井上さんがおばあさんから教わったものは、まっとうに世の中を生きるという人間としての姿勢だけではありませんでした。井上さんは「作文教室」のなかで、こう述べています。「字引はとにかく自分のそばに置いておく。辞書なしに“俺は文章を書くぞ”というのは、車がないのに“運転するぞ”と言うのとほとんど同じことですね。“私はたいへんな料理人よ”と言いながら、実は包丁を一本も持っていないのと同じことなんです。」一つひとつの言葉の意味を正確に抑えながら、愛おしむように時間をかけて言葉を紡ぎ出した井上さんならではの教えだと思います。

みなさんにとって、本との出会いを体験できる最も身近な場所は、桐朋図書館かも知れません。立夏まであとわずか、図書館の大きな窓には、すっかり色を濃くしたみや林の若葉が映り込んでいます。学校が再開される日が一日も早く来ることを祈らずにはおれません。