お知らせ

【手のひらの授業 第6講】

2020年4月22日

創造的であること

特別教室棟南庭の陽だまりのなかで、78、79期生の入学記念樹であるアルプス乙女の花がこぼれ咲いていました。本来ならそこにこだましているはずの中高生の声を心の中で聴きながら校舎を見上げると、この数日のあいだに若葉の色が濃くなっていることに気がつきます。

新型コロナウイルスの影響で、今年の夏休みは例年に比べて大幅に短くなりそうです。中学生のみなさんにとって一番の関心事は、やはりクラブ活動の機会が充分に確保されるのか、大会などのスケジュールはどうなるのかという点でしょう。一方で桐朋生は、何かと忙しい夏休みに上手に時間を割きながら自由研究に継続して取り組んでくれています。長引いているこの休校期間を利用して、今年の自由研究のおおまかな設計図を用意しておくと良いでしょう。

私は毎年、自由研究誌『桐の朋』の巻頭言を書いていますが、始業式や終業式の講話とは違って、「研究」「工作」に関係のある話を毎年考えるのはなかなか大変です。話のヒントを探していた私は、2010年に出会った一冊の新書に、ずいぶん助けられました。『すべてがFになる』(1996年)などの作品で知られる小説家・工学博士の森博嗣さんが書いた集英社新書『創るセンス 工作の思考』(2010年2月)という本です。著者の森博嗣さんは、私よりも三歳ほど年上の方ですが、育ってきた時代の雰囲気が私と共通していて、大変興味深く感じました。

私たちの小学校時代は、常に手先を動かして何かを創ることに夢中になっていました。男子の共通の話題はプラモデル作り。凝り出すと、設計図にないことをやり出します。ゼロ戦で例えれば、風防と垂直尾翼の間にアンテナ線(空中線)を張りたくなる。これはパーツを切り取ったあとのプラスチックをろうそくであぶって、勢いよく引っ張って作ります。当時、子ども部屋と言えば常に接着剤やラッカー塗料のシンナー臭いにおいと、プラスチックの燃えるにおいが漂っていました。小学校の高学年になると、次にはまるのがラジオ制作。クラスの中に先達が居て、その子の家に行くと、市販されているラジオキットを、ハンダゴテを使って器用に作るのです。「これがトランジスタ、これはコンデンサ、これは抵抗…」そんな言葉に、小学生なりにエレクトロニクスを感じ、それがカッコよくて真似をするようになる。そうすると、ハンダの溶ける独特の臭いが、プラスチックの臭いをいつか駆逐していくのでした。

あの頃、どの街にも模型屋さんがあり、ラジオのパーツや無線機を置いているラジオ店がありました。文房具屋に行けば、模型制作に必要なモーターやスイッチ類、バルサや角材も普通に手に入りました。今の小学生はニッパーやラジオペンチ、ハンダゴテなどの工具を、どれほど手にしているでしょう。子どもたちが工作をしなくなった理由は単純です。もっと面白いおもちゃが手に入ったからです。私は1979年4月、大学進学のために上京しました。その時受けた大きなカルチュアショックこそ、その前の年あたりから大流行していたインベーダーゲームでした。その後、今日に至るまでの家庭用テレビゲーム機の普及と進歩、ゲームボーイやプレステの世界的流行など改めてここで言うまでもありません。

森さんに言わせれば、我々の世代は子どもの頃に工作をしたものの、大人になった頃にパソコンが普及し始め、工作はパソコンいじりに置き換わり、モノづくりが突然デジタルになったのです。コンピュータというおもちゃは、実は大変安上がり、省エネなのです。最初にハードだけ揃えておけば、あとはソフトを替えたり、プログラムを組んだりして遊べる。材料もいらない。失敗しても何度でもやり直せる。大人がコンピュータに熱中しているのを見れば、子どもたちは必然的にゲームの世界に浸ることになる。こういった社会的なデジタルの大波が、「モノを手で創る」という既往の文化を完全に払拭してしまった、と森さんは言います。

ゲームは、大人にとってもかなり都合の良いおもちゃです。部屋が散らかるということもないし、塾へ行く合間の短い時間でも瞬発的に楽しめる。比較的易い装置で長く遊んでいられるのでコストパフォーマンスも良好。これを生産する側も、ハードとソフトの開発を分担できるし、一度開発すれば、ソフトのコピィは非常に簡単なので大量に同じものを作れば大儲けできるわけです。森さんは、その昔、これに似た革命的なメディアとして社会に普及したものとして、書物を例に挙げます。書物は全て「文章」というソフトで作られている。どのようなものも、書物で疑似体験ができる。読者は、本だけを入手すれば、安全で手軽な楽しみが味わえる。作る側も、文章を書けば良いだけだし、大量に印刷することで、効率的な商売が成立する。これはゲームと全く同じです。ゲームや書物という疑似体験の文化を、否定するわけにはいきません。

森さんはここで、「例えばの話」と前置きして、こんなことを言います。家の窓は、開け閉めをしなければならない。蝶番やレールの工夫、防水のためのパッキングなど、機械的機構が面倒だ。光を採り入れるためにガラスを利用し、逆に遮るためにブラインドやカーテンが付随する。最近では、断熱のために二重ガラスを使ったり、防犯のために割れにくいガラスが工夫されている。これほど面倒ならば、窓なんか作らないで、窓の代わりに液晶モニターを壁に取り付けておけば良いではないか。カメラで撮影した外の風景をモニターに表示すれば「外が見える」ことになるし、光も取り入れられる。また、通気は換気扇やエアコンがあれば充分です。断熱の点でも有利になるし、なによりインテリアの自由度が高くなります。窓の位置だって、いつでも簡単に変更できるのです。O.ヘンリーの短編小説『最後の一葉』と言えば、レンガの壁に描かれた一枚の蔦の葉の絵が若い娘の命を救う有名な話ですが、窓全体が液晶モニターなら、病室の風景も思いのままになるでしょう。確かに、森さんのたとえ話はあながち絵空事ではないかもしれません。

もし、窓が液晶になったら、ガラスやブラインドといった文化は失われます。でも現実にそうやって私たちがこれまで失ってきた文化を挙げればきりがありません。それはノスタルジイと言うべきものです。森さんは、そのことよりも、窓を開け閉めしてきた世代であれば、レールが引っかかる感覚とか、木枠が雨で変形して開け閉めが固くなる経験とか、そうした無意識に持っていた技術的センスが、デジタル窓の世代の人たちには「想像もできない」ものになることの問題を指摘します。レールさえあればスライドするはずだ、正確な寸法に作れば水は漏れないはずだ、そう考える技術者ばかりになるかも知れない。それは、「ほんのちょっとしたこと」ではあるけれど、決して「どうでもよいこと」ではないと森さんは言います。

人間関係や社会的な問題は、数学や物理のようにきっちりと予測ができ、唯一の正解が求められるものではありません。私たち文系の人間は、理系の技術者に対して「君たちの仕事は、なんでも計算どおりにいくだろうけれど、私たちは人間を相手にしているのだから、そんなに簡単には運ばないよ。」と言いたがります。同じ理系であっても、医学や生物学の分野の人々は「生き物はモノではない。だから難しい。金属は簡単だ。計算どおりに何でも作れるし、設計どおりに動くはずだ。」と言うそうです。工学が専門の森さんは、それは大きな誤解だと主張します。工学を知らない人々は、モノを作ることはタミヤのプラモデルを組み立て説明図に従って完成させることと同じだ、と考えている。でも、プラモデルを実際に作った経験のある人ならば、多少なりとも「設計図どおりにいかない」ことを知っているはずだ。世の中の一般の人々はもう「工作を知らない人」「工作から遠い人」ばかりになってしまっている。設計図どおりに出来てあたりまえ、期待通りに機能してあたりまえ、と考える人は、トラブルが生じることなど全く想像していないし、設計図通りに進まない事態に出くわした時に、柔軟に対処できません。森さんに言わせれば、モノを作るということは、実は失敗を重ねるということなのです。そうして、「どんな物体であっても、計算どおりにものが出来上がることは奇跡だと言って良い」ということを肝に銘じて、その失敗を乗り越える。創造的であるというのはこのようなあり方なのだと、森さんは主張しています。

最後に、いささか季節外れではありますが、先ほど例に挙げたO.ヘンリーの『最後の一葉』について触れておきましょう。話の舞台は、ニューヨークのグリニッジビレッジの中心、ワシントンスクエアパーク西側の、入り組んだ路地の奥にある三階建てのレンガ造りのアパートメント。そこでは絵の具代やキャンバス代の取り立て屋から逃れるように、貧しい画家達がコロニーを形成していました。ジョンジーとスーは最上階にアトリエを構える若い画家で、共同生活をしています。11月、ジョンジーが肺炎に罹り、スーは懸命に看病しますが、ジョンジーは隣の家の壁から散っていく蔦の葉を数えながら、生きる気力を失っていきます。

彼女たちの一つ下の階に、ベーアマンという老画家が住んでいます。彼は、芸術的には失敗者で、いつか傑作を書くと言い続けながら、部屋には25年間筆が下ろされるのを待っている白いキャンバスがあるばかりで、この数年はほとんど画家としての活動もせずに、同じコロニーに住む若い画家たちのモデルになって小銭を稼ぎながら酒びたりの生活をしています。スーから、ジョンジーの様子を聞いたベーアマンは、その夜、冷たい雨風に打たれながら、地上20フィートの高い枝に、最後の一枚の絵を描くのです。ジョンジーは気力を取り戻しますが、無理をしたベーアマンは自分が肺炎に罹って、わずか2日であっけなく死んでいきます。スーはそのことをジョンジーに話し、最後にこう言います。「あの一枚の葉っぱの絵こそ、ベーアマンさんの傑作なのよ。」

老画家ベーアマンを主人公としてこの話を読む時、彼の美しい自己犠牲の姿に感動しながら、しかし同時に私たちは、芸術家・表現者としての彼の人生の哀しさを感じずにはおれません。ベーアマンは60年余りの生涯を通じて、何を手にすることができたのか。そこにあるのは孤独と、失意です。一切の称賛も、喝采もありません。しかしその最後の場面で、彼は自分の人生を一つの作品として形にしたのです。その生涯の全てを注ぎ込む形で描かれた一枚の蔦の葉の絵には、芸術作品としての力があったからこそ、同じ画家であるジョンジーの心に共鳴し、彼女の「力への意志」を呼び起こしたと考えるべきでしょう。その時、彼の蔦の葉の絵は本物の葉っぱの単なる模倣ではなく、本物を超える価値を持ったのです。

創造的な生き方というのは、失敗を繰り返しながら、それを乗り越えること。そういうことを通じて、自分の人生をゆっくりと創っていく営みだと思います。設計図通りの人生などあり得ない。人生というのは、予想もつかない他者の人生と交錯しながら、それを契機として様々な運動が生じるのであり、だからこそ面白いのです。