お知らせ

新入生に向けた、校長からのメッセージ

2020年4月8日

ごあいさつ

2020年の年明けから、世界中で新型コロナウィルス感染症との闘いが続いています。4月3日の時点で、実に15億4,300万人の子どもたち、若者たちが、コロナウィルスのために学校に通学する機会を奪われているとのこと。異様な緊張感が世界を押し包んだまま、沈黙の春が淡々と時を刻んでいます。

桐朋中学校に入学した中学一年生のみなさん、それから、桐朋高等学校に入学した高校一年生のみなさん、入学おめでとうございます。桐朋は、みなさんを心から歓迎します。新入生の保護者の皆様、ご家族の皆様、ご子息のご入学、誠におめでとうございます。ご子息にしっかりと寄り添いながら、その人間的成長をサポートしてまいる所存です。何卒、私たちの桐朋教育に、暖かいご理解とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

新入生のみなさん。みなさんが入学したこの桐朋はどのような学校か、その歴史を物語る一枚の葉書を、みなさんにお見せしましょう。私は、この葉書を、みなさんの大先輩である第2期生の山口桂次さんという方からお預かりしました。差出人は、北支派遣軍・隼第一五三〇七部隊の伊藤喜久雄さん。軍事郵便とありますから、中国戦線の駐屯先から出されたものです。検閲の印が二つ押されています。

伊藤喜久雄さんは、桐朋の前身にあたる第一山水中学校(1941年開校)の体操教師だった方です。1943年に着任され、その年の9月には兵士として前線に出征されました。山口さんは、伊藤先生に手紙を出しました。この葉書は、伊藤先生の返事なのです。「お便り何より嬉しい。有難う。益々元気で勉励の由、非常に心強く喜んで居る。」

第一山水中学校は、専任教員18名・講師11名・事務職員6名という小さな学校としてスタートしました。太平洋戦争開戦以来、そのうちの12名が出征し、3名の方が戦死されました。伊藤喜久雄先生は、戦争終結後の1945年10月に、戦死が確認されたようです。実質的にはわずか5ヶ月ほどの教員生活、教員として生きた伊藤先生の何よりの証しであったこの葉書は、こんな言葉で結ばれています。「山口に負けんよう頑張るぞ~。必ず会へる。」

第一山水中学校という学校は、実業家山下亀三郎が陸海軍に寄付した1,000万円という基金をもとに生まれました。山下亀三郎という人物は日清・日露戦争の頃に石炭業から海運業に進出し、戦争物資の輸送などによって財を成していきます。1931年の満州事変から日米開戦までの10年間、山下亀三郎が経営する山下汽船の営業成績は黄金期を迎えます。1万㌧級の船が10隻は造れたという1,000万円という巨額の寄付は、こうして生まれた利潤がその背景にありました。

山下亀三郎は陸海軍へ寄付をする際、「出征中の軍人軍属の子弟の教育のために適当にお使いください。一切は陸海軍にお任せします。」と述べたと当時の新聞は伝えています。軍人子弟の教育のために作られた学校でしたから、山水の名の由来は「陸海軍」そのものであり、初代校長に就任したのは、満州・牡丹江を拠点とする陸軍第12師団の師団長を務めた清水喜重陸軍中将でした。

開校から4年、太平洋戦争の敗戦とともに、第一山水中学校をめぐる状況は一変します。陸海軍と関わりの深かった山水に対して、連合国軍総司令部(GHQ)は厳しい査察を行いました。その捜索と尋問の様子から、誰もが山水の廃校を覚悟したそうです。それでも学校関係者はなんとか学校存続の道を探り、当時の東京文理科大学学長の務台理作博士、東京高等師範学校幹事長花井徳次氏との協議の末、山水育英財団と第一山水中学校を解散し、東京文理科大学の指導協力の下で新財団を設立して、学校の運営を移管することが決まりました。東京文理科大学はのちの東京教育大学、現在は筑波大学に改組されていますが、その校章は東京高等師範以来の伝統の桐の校章、その協力校ということで、新財団は桐朋と名付けられたのです。

この務台理作博士は、1947年に開校した桐朋第一中学校の初代校長です。務台博士は、桐朋という学校の骨格・校風を創る上で非常に大きな存在となりました。務台博士は、戦後日本の教育のあり方を審議するために1946年8月に立ち上げられた教育刷新委員会の一員でもあり、委員会の会議録に目を通せば、務台博士が戦後教育の憲法と言われた教育基本法制定の中心的役割を担ったことが読み取れます。

改めて、1947年3月31日に公布された教育基本法の第一条を読んでみましょう。「教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」新生・桐朋第一中学校の誕生はその翌日でした。今日まで、桐朋の実践目標として掲げられている「自主・敬愛・勤労」は、務台博士が深く関わった教育基本法の条文から採られています。旧山水中学の軍国主義教育から、世界の平和を愛し、真理を愛し、個人の自由と個人の価値を尊重し得るような人間の育成を目指す桐朋教育への転換は、こうして為されました。

新入生のみなさん。桐朋はこのように、日本の他の学校には例がないほど、世界と日本の近現代史に生々しく直結する歴史を持っています。伊藤喜久雄先生がこの葉書に込めた、ほとばしるような教育への思いと、誰一人として理不尽にその命や心が踏みにじられることのない社会を作りたいと願う、そんな希望を受け継いで、この桐朋の人の輪が成り立っているのです。

新入生のみなさんが、この桐朋での様々な出会いや経験を通じて、「自主的精神に充ちた、心身ともに健康な」若者へと成長してくれることを期待しています。平和を愛する心とは、国と国との関係というより、むしろ自己と他者との関係において、相手をないがしろにしたり傷つけたりせずに尊重し合うところから育つものだということも、言い添えておきます。

みなさん、入学おめでとう。誇らしく、胸を張って、その最初の一歩を踏み出して下さい。

桐朋中学校・高等学校 校長  片岡 哲郎