お知らせ

【校長・手のひらの授業 第1講】

2020年3月9日

かなしみをつなぐ梅の花

高校卒業式の朝を迎えました。校内の梅はもうあらかた花を落としましたが、高校昇降口をあがったすぐのところの中庭に立つ梅は、まだその花を残しています。毎年決まってこの梅は、高校卒業式を見届けるまで咲いているのです。

梅は、遣唐使船によって大陸から持ち込まれました。『万葉集』のなかに、梅の花を詠んだ和歌が約120首も収められていると言いますから、奈良の都人にとって、初めて見る梅の花の印象がいかに鮮烈であったかがわかります。その中から、一つの和歌を紹介しましょう。「梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びしことを宮もとどろに(梅や柳の見頃が過ぎてしまうのが惜しくて、近くの野原で遊んでいただけなのに、宮殿じゅうで大騒ぎして、ひどいものだよ)」この歌には、あるエピソードが添えられています。ある春のこと、朝廷に仕えていた若い役人たちが、あまりに気持ちの良い天気に誘われて宮殿を離れ、佐保の野原で打毬(スティックでボールを打ち合う、ホッケーのようなもの)を楽しんでいました。そうしているうちに黒い雲が湧きおこったかと思うと、激しい雷雨となりました。役人たちには普段から、雷が鳴った時には宮殿の貴人たちを守るという役目が与えられていたのですが、彼らがみんな遊びに出てしまっていたのでその時宮殿は空っぽでした。役目を放り出して遊んでいたことがばれてしまった若い役人たちは、罰を受けて牢に閉じこめられてしまったそうです。そこで思わず詠んだのがこの歌でした。「梅が見頃だったんだから、仕方ないじゃないか」と、若い役人たちがみんなで文句を言っている様子が目に浮かぶようです。

『万葉集』と言えば、昨年は新元号の関係で、大宰府での梅の宴のことがずいぶん有名になりました。『万葉集 巻五』は、大伴旅人の、なんとも痛切なこの一首から始まります。「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり(世の中が実に空しいものだと思い知った時、いよいよますます悲しみが深まることだなあ)」大伴旅人が大宰府の長官として筑紫国に赴任したのは、728年の初めでした。学者によっては、この人事は明らかに、対立する藤原一族による左遷だと断じる人もいますが、それはともかく、当時63歳の高齢であった旅人にとっては、少なくとも意に沿わぬ九州行きであったことでしょう。着任後4月、旅人を悲劇が襲います。都から伴ってきた最愛の妻、大伴郎女を急な病で失ったのです。長年連れ添った妻を失った悲しみは旅人を打ちのめしたことでしょう。さらに6月、都から異母弟の大伴宿奈麻呂が亡くなったという知らせが届きます。その時詠まれたのが先ほどのこの一首、旅人の喪失感の深さが読み取れます。悲しみを払うかのように、ここから、旅人は集中的に歌を残しています。中でも亡き妻への挽歌は13首を数えます。

さて、初春の令月、旅人の屋敷で行われた梅花の宴は、730年正月13日のことです。山上憶良をはじめ、筑紫歌壇を形成する人々が旅人のもとに集まり、32首の歌を次々に詠んでいきます。旅人は、その32首に続けて、こんな歌を詠んでいます。「雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも(雪の色を奪い取って咲いている白梅は今が盛りです。見てくれる人がいるといいのに)」ここでも旅人の心は亡き妻の面影を探しているのです。この年、旅人は都に戻りますが、佐保の屋敷で旅人を待っていたのも、亡き妻と植えた思い出の梅の花でした。

こうした事実を知って読み解けば、大伴邸での梅花の宴が、春を言祝ぎ梅の薫りを楽しむ心和やかな場面ではなかったことが想像できるでしょう。旅人が歌に込めた深いかなしみを、読み手が都合よく読みかえていいものではありません。

「梅は百花の魁(さきがけ)」という言葉があります。開花時期が早いのは、大学通り沿いの白梅で、1月中旬にはその香りを楽しむことができます。正門広場のしだれ梅は、中学入試の前にほころび始め、高校入試の朝にはかなり咲きそろいます。そして、冒頭で紹介した中庭の梅は卒業式を見守ります。その年の気候によって、桜の開花はかなり左右されますが、この三つの梅は、咲くべき時期を違えることがほとんどありません。学校という場に長く身を置いていると、旅人とはまた違った意味で、梅が背負うかなしみを思うことがあります。中学・高校・大学のそれぞれの入試と、卒業式をつないで香る梅は、じっと唇を噛みしめて別れの悲しみに耐えているように感じるからです。梅のゆたかな香りはしばしば「馥郁たる…」と表現されますが、「郁(かぐわしい)」とはもともと香りが細いと書いて「か・くはしい」と読んだとか。梅の花の香りはただ強いのではなく、ただ甘いのでもなく、何かをじっと噛みしめるように貫いていくことで、心が浄化されていくような、そんな力を持っています。梅はかなしみのなかに咲いて、暦を切り拓いていく花です。

もうじき、東日本大震災から9年の節目を迎えます。考えてみれば、梅は私たちが経験した二つの大震災をつなぐ花でもあります。大変な試練に打ちのめされながらも、前を向いて立ち上がる人々の心を思う時、そこに寄り添っていたであろう梅のかなしみはまたいっそう深く感じられます。最後に、阪神淡路大震災が起こった1995年の高校一学期終業式で、当時生活指導部主任を務めていた私が生徒に語った話を引用します。少し長いですが読んでみて下さい。


先日、学校防災に関する研修会に出席しました。神戸の高等学校の先生方からの、震災についての報告が中心でしたが、その中で最も印象に残った報告は、実は東京のある学校の話でした。この学校は、都内のあるキリスト教系の女子高―諸君も名前を聞けばすぐにわかる学校ですが、この学校の母体であるキリスト教会派の神戸大阪教区から、震災直後の1月23日に、この学校にボランティアワーカー派遣の要請が来ました。この学校は普段からボランティア活動に学校をあげて取り組んでいる学校ですので、この要請を受けてすぐに阪神地区へのボランティアを校内で募集したのです。但し、現地が大変な状況で多くの困難が予想されるため、全ての生徒に声をかけるというわけにもゆかず、結局その時大学への推薦が決定していた70名の高3生から募集したそうです。 その後、この学校の学校付き牧師の部屋に何人もの高3生が相談に来ました。「どうしてもボランティアに行きたいのだが、自分の心の中にほんの少しだけ、 1割ぐらいは不純な(物見遊山的な)動機があってそれを否定出来ない。こんな心では神戸に行けない。」とか 「両親に反対された。自分としては行きたいのだが両親を説得できないのは自分の心に迷いがある証拠である。」そういって何人もの生徒 が泣いていったそうです。結局、42名の生徒が神戸行きを決心したのですが、そこには相当の葛藤があったのではないかと思います。6名ずつ、7期にわけて、それぞれ4泊5日のボランティア活動が始まったわけですが、正直、派遣する学校の教員の中にも、あるいは生徒たちの親も、「ろくに家の手伝いもしたことのない現代っ子が、震災を受けた現地に行って何ができるだろうか」という心配があったそうです。最初の1期生は、それこそ暗中模索の5日間でした。現地に行ったはよいが誰も仕事を指示してくれない、自分たちで探さなければいけない中で、彼女たちはひたすら、宿舎となった芦屋の教会周辺を歩き回り、水汲みから市内の清掃まで、何でもやったそうです。2期生以降は、さらに神戸寄りの青木というところの避難所を拠点にして、被災者のお世話をしました。そこでの彼女たちの働きは、実に驚くべきものでした。TVでも盛んに報道されていましたが、この避難所でもトイレの不足から次々にトイレが使用不能となっていました。水の来ない水洗トイレはすぐにパイプが詰まり、逆流を始める。避難生活を送る人々は精も根も尽き果てているために、この状況になすすべもなく、たちまちトイレは山盛りの状態になる。大人でも立っていられぬほどの悪臭がただようという状況だったそうです。そこで彼女たちは何をしたか。彼女たちは「決死隊」と言いながらレインコートを着て、手にビニール袋を巻きつけて山盛りの汚物を手掴みで掻きだし、トイレのつまりをなおしたそうです。そうしてもすぐトイレはまた詰まり、そのたび彼女たちは格闘する、一日に何回もその作業を繰り返したそうです。少し暇ができれば今度はゴミの分別、それこそ大変な量のゴミが分別されずに捨てられるのですが、そのまま燃やすと焼却炉が一日で壊れてしまうそうで、彼女たちはそれを地道に分別していたそうです。

引率をした先生も、そうした意外とも言える現代っ子の姿に、思わず目を疑ったそうですが、驚くべきことに、彼女たちが来る日も来る日も地道な作業を繰り返しているうちに、次第に被災者の中に秩序というものが回復していったのです。疲労と、飢えと、肉親を失った絶望感とで立ち上がることさえ出来なかった人々の心を、ほんの6人の高校生が見事に支えていったのです。

私達はこの報告を聞きながら、涙を流しました。それは、話そのものの壮絶さもさることながら、彼女たちのこの試みを通じて、そこには多くの迷いや挫折もあったと思いますが、人間の持っている「善なる本性」といったものを見せつけられた思いがしたからです。この本性は、おそらく誰しもの心の奥底に、諸君にも私達にも備わっているものだと思いますが、残念なことに普段の私達はほとんどそうした本性を自覚することができない。それはなぜかといえば、私達の心には様々なもの―例えば打算・損得勘定、あるいは固定観念・後悔・あきらめ・混乱―そういった諸々のものが深く澱んでいて、自分の本性を覆い隠しているからです。自分を見つめ直すとは、自分が一体何者で、何のための生きていて、今どうすべきかについて自覚することですが、そのためにはこうした心の中の沈殿物を完全に取り去らなければならないのです。どうすればそれが出来るのでしょうか。自己の目標に向かって一所懸命に努力し、それに没頭しているときに可能なのかも知れないし、あるいは海外旅行とか非日常的な空間に身を置いた時に可能なのかも知れません。いずれにせよ、今の自分に迷いを感じているならば、あるいは問題を感じているならば、必死になって自己の原点を再確認する必要があります。この事を頭に入れて、この休みを過ごして欲しいと思います。 (1995.7.15高校一学期終業式)

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