TOHO Today 桐朋トゥデイ

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7月7日に,海外大学に進学したOBとの懇談会を行い,海外大学進学に興味のある高校生約15名が参加しました。OBからは,如何にして自らの進路を切り拓くかというテーマのもと,海外大学と日本の大学の比較や選考方法の違い等について具体的なお話があり,あわせて,海外生活でのエピソードも紹介されました。この機会を通じて,海外大学への進学を希望しつつその経験を持つ人が身近にいなかった生徒は具体的な話を聞くことでよりビジョンが鮮明になり,一方,興味を持っていた程度の生徒も大いに刺激を受けたようでした。
以下に,参加した生徒から寄せられた感想を一部ご紹介します。(A.J.)

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とてもおもしろかったです。今まで海外に行くことばかり考えていたので,それを考え直すきっかけになりました。当初の自分の考えは,日本の学歴社会のもとでネームバリューのある大学に行き,そこでやりたいことをやる・・・というものでした。また自分にはやりたいことがたくさんあるので,アメリカの大学に進学した方が良いのかなと漠然と思っていました。今日のお話を聞いて,自分は大学を卒業したあとのことを特に何も考えていなかったことに気付くことができました。(高1)

将来希望する職業が定まっている人が集まるハーバードなどの大学と,様々なことを学ぶ中で将来を定めることができるAmherst Collegeなどの大学の2種類があるということが知れたのが大きな収穫であると思った。自分は大学受験を前にした高2であるが,自分の将来の職業が定まっておらずその状態で大学に入ろうとする自分に対して違和感を覚えることがあったが,自分のような人間にもフィットする環境があることが知れたし,自分がその環境に身をおく意欲が湧いた。また,OBの方が「自分の考える優秀な人間の印象が崩れた」というようなことをおっしゃっていて,自分自身でそのような人々と実際に接してみたいと思った。一方,アメリカの大学の評価基準として「自分でルールを作れるか,自他のルール間で折り合いをつけられるかを評価する」というものがあることに課題を感じた。自分は,計画を立てたり,自分を縛る行為に長けていないから,今後行動するときに意識せねばならないと思った。(高2)

以前から海外大学に興味があったものの,周りに海外大の知り合いがおらず現実味がわかなかったので,今回のお話はとても参考になりました。海外における課外活動の意義に関するお話が印象に残りました。課外活動というと,どうしても実績に目を向けがちですが,根底にある動機に価値があるというお話には,すごく納得できました。最近,自分は周りの環境に恵まれているということに気づいたので,その環境を最大限活かせるように頑張ろうと思いました。(高2)

『自分の「サイコロ」を見つけること』の言葉にとても感銘を受けました。与えられたサイコロを正しく振ることばかり考えていて,それは楽なのかもしれないが成長がないと思えたので,自分のサイコロを見つける努力をしようと思えました。(高3)

6月10日(土)に高1在卒懇を開催しました。
在卒懇とは,在校生と卒業生の交流の機会として高校で設けている会です。
高1では,卒業して10年になる卒業生を招き,桐朋での生活のこと,進路選択のこと,そして現在の職業のことなどについてお話しいただいています。
今年度は,67期の卒業生20名以上が在校生のために来校してくださいました。

高1は,高校に入学したばかりとはいえ,少しずつ自らの進路について考え始める時期にあります。そんな中で,多様な分野に進んだ先輩の話を直接聞ける機会ということで,皆熱心に耳を傾けていました。

大学受験の話はもちろん,それ以前の進路選択の話,学校生活の話,それらが今の自分にどうつながっているか,などのお話は身近に感じられるのか,学校生活への前向きな刺激をもらえたようでした。また,高校生のうちはなかなか出会うことのない職業の話を聞き,視野が広がった生徒も多くいたようです。終了後は積極的に講師に質問する姿も見られました。

講師として来てくださった皆様どうもありがとうございました。
この会が,生徒一人一人が自分の将来を思い描くための一つのきっかけとなったことでしょう。(A.J.)

さる5月9日、高校生のスポーツ大会が開催されました。
春と秋、年に2回行われるスポーツ大会は学年ごとのクラス対抗戦で、生徒たちは卓球・バスケットボール・ソフトボール・サッカー・バレーボールの各種目で競技し、クラス優勝を目指して戦います。


 

企画・運営は生徒会スポーツ大会委員が担当し、種目の選定・ルール設定・タイムテーブル管理・点数処理など、すべての事務処理を担います。競技場の準備に際しては、教員の支援も受けながら、前日・当日朝早くと相応の時間をかけます。


 

また生徒たちは、自主的に、クラスで揃いのユニフォームを用意して競技に臨むことが毎年恒例となっており、色とりどりのユニフォームで、体育館・グランドが彩られました


 

優勝クラスは高1-D組、高2-B組、高3-E組でした。
そんな裏方の仕事に支えられながら、当日は晴天にも恵まれ、生徒たちは座学のない、のびのびとした一日を楽しく過ごしてくれたようです。
全力でプレーした選手の皆さん,そして大会実施に尽力したスポーツ大会委員の皆さんお疲れさまでした!(A.J.)

4月19日、2023年度1学期高校生徒総会を開催しました。
同会では、2023年度生徒会の活動方針を発表したほか、予算案の採決を行いました。

桐朋の生徒会では、クラブ・委員会の予算案を生徒が作成しています。

11月から各クラブ・委員会の代表者と中央委員会会計担当が予算折衝を行い、作成された予算案は、クラブ評議会、中央委員会、生徒総会で可決されることにより執行されます。

4月24日には中学生徒総会も行われ、予算案は無事可決されました。

中央委員会会計・福島結人君
「お金の重みと活動の重みの両方を大切にしながら会計を管理していきたいと思います。1年間よろしくお願いします。」

本校高校3年生の稲田孟さん、小池翔太さんが、現在NY国連本部で開催中の高校模擬国連国際大会(Global Classrooms International High School Model UN Conference、以下、摸擬国連国際大会)に参加中です。

 

本大会は、米国国連協会の主催により開催され、グローバル・クラスルーム日本委員会主催の全日本高校模擬国連大会(Global Classrooms in Japan)にて選出された高校生が日本代表団として参加します。

今回の日本代表団は、本校生徒をはじめ全7校15名の高校生が参加しています。また、摸擬国連国際大会では、小池さんと稲田さんはベトナム大使としての参加になります。

4月26日(水:米国時間)より現地入りし、2日目よりUNDP(国連開発計画)本部と国連日本代表団へ表敬訪問、3日目より摸擬国連国際大会に臨んでいる模様です。

以下、現地より参加中の小池さんより速報レポートが届いていますので紹介いたします。

 

《2日目》
UNDP本部と国連日本代表団へ表敬訪問に行きました。
模擬国連活動を行うものとして、世界の最前線でご活躍される方々のお話をお伺いすることは、模擬国連活動だけではなく様々なことに通ずることで、とても勉強になりました。

《3日目》
会議初日、我々は日本の会議とは異なる雰囲気の中で、私たちが担当するベトナムの政策をより多くの国に周知してもらい、似た境遇の国々と国際社会に対してどのように貢献できるかを話し合いました。
会議序盤は慣れない環境であり、そして英語でのディスカッションに少し消極的になってしまった部分もありますが、だんだんと雰囲気に馴染み、積極的な議論をすることができました。(小池翔太)

引率の教員からの報告では、国際連合開発計画 各国常駐代表の方のお話をうかがうという貴重な機会をいただき、オンラインで参加をしていただきました。かなり熱のこもった話で、みな感銘を受けていたそうです。また、NYに着陸直前には、搭乗機の運営スタッフのみなさまのお計らいで、今回の日本代表の高校生のみなさんを激励するアナウンスが流れたそうです。多くの方のご支援を受け、本校生徒が素晴らしい体験を積んでいる様子が伝わってきています。

緊張感ある中での活動ですが、素晴らしいこの機会を存分に楽しみ、さらなる飛躍を願っています。

後日、報告会の様子もご紹介予定です!

 

 

4月8日(土)に高校入学式が行わ、80期高校1年生の335名が入学しました。
入学式での「校長の言葉」を紹介いたします。

 

「高校入学式 校長の言葉」

ここ国立も、春を彩るさまざまな花が咲き誇り、木々も柔らかに緑をまとう、まさに「春爛漫」といった言葉がぴったりの、美しく、色あざやかな景観となっています。生命の輝きに充ちた本日、新入生の保護者の方々にご臨席を賜り、桐朋高等学校の入学式を挙行できますことを、大変嬉しく、ありがたく感じております。
新入生のみなさん、入学おめでとう。高校生としての第一歩を踏み出しました。今、どんな気持ちですか。少し大人びた気分を楽しみながら、晴れやかさ、誇らしさを感じている諸君が多いことと思います。
保護者の皆様方、ご子息の桐朋高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。ご子息の健やかなるご成長に寄与すべく、第80期高一学年の教員ともども、精一杯取り組んでまいります。何とぞ、私たちの桐朋教育に温かいご理解とご支援を賜りますよう、心よりお願いを申し上げます。
さて、新入生の皆さん。昨今、広く共感を集めている次の言葉、ご存知ですか。「自立とは依存先を増やすこと」。この言葉は、東京大学先端科学技術研究センター准教授で、小児科医の熊谷晋一郎さんが語ったものです。
熊谷さんは脳性まひによる障害のため、幼い時から車いすの生活を続けています。熊谷さん、東日本大震災でこんな体験をします。
「あの日、私は5階の研究室から逃げ遅れました。エレベーターが止まってしまったからです。他の人は階段やハシゴなど別の『依存先』を使って避難できるが、私は違いました。これが『障害』ということなのかと思いました。そこから、ある考えを持つようになりました。それは、依存先の数の多さと、一つの依存先への依存度の深さとは、反比例の関係にあるということです。依存先が多ければ、依存先から支配されなくなる、と気づかされたのです。
つまり、人間の『自立』とは依存しないこと(in-dependence)ではなく、独占されることなく依存先を多く持つこと(multi-dependence)だ、と」
新入生のみなさん。高校という時期は、まさに自立に向け、自分を高めていく時期です。その際、熊谷先生の言葉は大きなヒントになるように思います。「依存先に支配されぬよう、数多くの依存先を持つ」、表現を改めれば、「自分の可能性を広げるべく、さまざまなつながりを持っていること」。
みなさん、こんなプロジェクト、ご存知ですか。「注文をまちがえる料理店」。「注文を取るホールスタッフが、みんな“認知症”であるレストラン」
仕掛けたのは、小国士朗さん。小国さんはNHKの番組ディレクターとして、「プロフェッショナル 仕事の流儀」、「クローズアップ現代」などの番組を手がけていたのですが、病気を患い、それを機に、NHKのコンテンツをプロモーションする仕事に移り、その後、独立しています。
「注文をまちがえる料理店」というプロジェクト、小国さんの、とある体験がきっかけとなり、スタートしました。「プロフェッショナル」の番組ディレクターとして、小国さんが取材していたのが、認知症介護のプロフェッショナルである、介護福祉士、和田行男さん。介護における和田さんのモットーは次のようなものです。「介護って、その人が生きていくために、その人の持っている力を引き出していくことだと思うのです。人は、誰もが自分の持っている力で生きていく。認知症を患うと、持っている力を自分だけでは使いこなせなくなるので、使えるように応援していくのが僕の仕事。一生懸命生きようとしている人たちがちゃんと応援してもらえる。このことがとても大切だし、そんな社会を作りたいと思い、30年間やってきました」
和田さんのグループホームで生活する認知症の方々は、買い物も料理も掃除も洗濯も、自分ができることはすべて自分でやっています。
取材の際、小国さん、グループホームで生活するおじいさん、おばあさんが作る料理を何度かごちそうになっていたのですが、その日の食事は強烈な違和感とともに始まったのだそうです。というのも、小国さんが聞いていた献立はハンバーグ。でも、食卓に並んでいるのは、どう見ても餃子。ひき肉しか合っていません。小国さん、「あれ、今日はハンバーグでしたよね?」、この言葉がのど元までこみ上げます。でも、踏みとどまります。「これ、間違いですよね?」の一言で、和田さんたちと、おじいさん、おばあさんとで築いている、この“当たり前”の暮らしが台無しになってしまう、そう感じた小国さん。こう考えを改めます。「ハンバーグが餃子になったって、別にいい。誰も困らない。おいしけりゃ、なんだっていいんです。それなのに、『こうじゃなきゃ、いけない』という“鋳型”に認知症の方をはめ込もうとする。そうすると、どんどん介護の現場は窮屈になってしまう。介護の世界を変えようと、日々闘っているプロフェッショナル。その方を取材したいと思い、この場にいる僕が、ハンバーグが餃子になっただけのことに、なんでこだわっているんだ、と思い知り、ものすごく恥ずかしくなったのです。そして、この瞬間、『注文をまちがえる料理店』というワードが浮かんだのです。」
小国さん、こんなことを、話しています。
「僕はこれまで数多くの社会課題を取材してきましたが、その中で、一つ思っていたことがあります。それは、『社会課題は、社会受容の問題であることが多い』ということ。
社会課題解決のためには、もちろん、法律や制度を変えることが重要です。
でも、僕たちがほんのちょっと寛容であるだけで、解決する問題もたくさんあるんじゃないかなぁと思っていました。『注文をまちがえる料理店』も同じ発想です。
当たり前ですが、この料理店によって認知症のさまざまな問題が解決するわけではありません。
でも、間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ。そんな新しい価値観を、この料理店から発信できたら。そう思ったら、なんだか、無性にワクワクしてきたんです」
小国さん、「注文をまちがえる料理店」実現に向け、走り出します。まずは仲間集め。「注文をまちがえる料理店」の企画を伝えると、わずか2か月あまりで、デザインや外食サービス、そして、認知症介護の和田さんなど、各分野の最高のプロフェッショナルが集まり、実行委員会が発足。
プロフェッショナルとともに決めた店のコンセプトは、次の2つです。
1つ目が、「料理店として、ご来店いただいた方が十分満足できるよう、味にこだわること」。
そして、もう1つが、「間違えることが目的ではない。だから、わざと間違えるような仕掛けはしない」。
この、2つです。
1つ目について、小国さん、こんな理由を挙げています。「僕たちの中に、『福祉として“いいこと”をやっている』という意識が出てくると、甘えが生じる可能性があります。『どの料理が出てきてもおいしい』。これが担保されて初めて、間違えられても笑って許せる、そんな雰囲気が生まれるのでは、と思いました」
2つ目については、こんなことを語っています。「間違えるような仕掛けをしないかどうか、本当に悩みました。お客さんは『間違え』を期待して、このレストランにいらっしゃるのでは、と思ったのです。でも、認知症の方がわざと間違えるよう設計するのは、本末転倒な気がしました。ホールスタッフをする認知症の方は、『間違えていい』と言われてはいるのですが、だからといって、間違えたくはないのです。『きちんとやりたい。間違えたら、恥ずかしい』と思う気持ちは変わりません。間違えないように最善の対応を取りながら、それでも、間違えちゃったら許してね、こういう設計にしようと、メンバーの考えが一致しました」
この「注文をまちがえる料理店」。いざ実施すると、大変な反響を呼びました。国内のメディアだけでなく、150ヶ国あまりで話題となり、国内外で数多くの賞を受賞します。
大きな反響を呼んだ理由について、小国さん、こう語っています。
「注文を取るのかなと思ったら、昔話に花を咲かせてしまうおばあさん。お客さんもそのまま和やかに談笑している。間違った料理が出てきても、お客さん同士で融通し合い、苛立ったり、怒ったりする人は誰もいません。あちこちでたくさんのコミュニケーションが生まれ、間違えていたはずのことがふんわり解決していく。
忘れちゃったけど、間違えちゃったけど、まぁ、いいか。そう言えるだけで、そう言ってもらうだけで、その場の空気が優しいものに変わる。この優しい空気感が世界中の人々を惹きつけたのかもしれません」
小国さん、こんなことも話していました。
「『注文をまちがえる料理店』では、『寛容』ということをキーワードに掲げてきました。
でも、寛容という言葉、『許して受け入れる』という意味で、ちょっと、上から目線の言葉なんです。だから、ぼくは少し違和感を持っていました。
だからこそ、料理店の様子を見ていたスタッフが発した『自然だなぁ』という言葉がとてもしっくりきたのです。認知症を抱えるホールスタッフは、誰に言われるでもなく、コップに水がなくなれば、すっと注ぎにいき、床にごみが落ちていれば、ホウキでさっと掃いていました。
お客さんも、さほど間違いを期待してはいませんでした。それより、認知症を抱えるホールスタッフとの会話や交流を楽しめて良かったという人がとても多かったのです。
もう1つ気づいたことがあります。認知症の方を見つめるお客さんの視線が、こちらが不思議に思うほど、キラキラとしていたこと。
どうして『キラキラ』が生まれるのか。その答えは、ホールスタッフの認知症のみなさんが堂々と自信をもって働いていたからだと思います。
『注文をまちがえる料理店』は、間違いがあってもなくても、認知症があってもなくても、その場にいることをみんなで楽しめる空間になっていると感じました」
認知症の方々にとっての「自立」。それは、〝鋳型〟に嵌められるのではなく、自分ができることは自分で行い、それとともに、グループホームのスタッフにしっかりと見守られ、必要な時は依存できること。「注文をまちがえる料理店」においても、「間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ」という環境の力で、その場にいるすべての人々と良い関係が築けています。
小国さんにとっての「自立」。「注文をまちがえる料理店」というアイディアも、小国さんが生み出したというより、グループホームで自らを恥じた体験によってひらめいたものですし、「注文をまちがえる料理店」も、各分野の最高のプロフェッショナルの助けで、さらに、お客さん、そして何より、認知症の方々によって実現できたもの。自らの可能性を高めるべく、多くのつながりを持てていたからこそと言えます。
新入生のみなさん。小国さん、実は本校の卒業生です。小国さんの、周囲との関わり方、社会課題に対する取り組み方、その一つ一つに、他者を尊重する、ともに過ごす場を大切にする姿勢が強く感じられます。
桐朋生の特徴の一つに、「個性の輝き」があります。一人ひとりが探究心を発揮し、自分の世界を形作っていく。そのバイタリティとユニークさにしばしば感心させられます。
そして、それを支えているのが、お互いを尊重し、認め合う姿勢です。お互いの関係性があるからこそ、自然体で過ごせるし、自分に自信が持てる。だからこそ、個性は輝くのだと思います。
新入生のみなさん。改めまして、入学おめでとう。
80期のみなさん一人ひとりの「自立」。そして、みなさん同士の関わりを通して、一人ひとりの「個性」がどんな輝きを見せるのか。大いに期待していますし、楽しみにしています。
高校の3年間を、一緒に実り豊かなものにしていきましょう。

3月4日(土)、門出にふさわしい春らしい陽気の中、第77期生の高校卒業式が行われました。2019年3月以来、久しぶりにほぼ通常の形で催行できた卒業式には、音楽部の生演奏も復活!式の最後では、3年前の卒業式や「学年の日」で歌うはずだった「旅立ちの日に」を、吹奏楽バージョンで一緒に歌うことができました。ぜひご覧ください。

卒業生代表の森河正平くんの答辞には、コロナ禍の厳しい中でも、懸命に高校生活を切り開こうとした生徒たちの様子が含まれており、参加した多くの方々の印象に残ったことと思います。以下に森河くんの答辞の全文を掲載します:

 

<卒業生答辞>

大学通りに立ち並ぶ桜の木も、私たちの旅立ちを祝ってくれているかのように、花を咲かせる時節となりました。

 

本日はご多忙の中、また、コロナ禍の中、先生方、保護者の皆様、在校生代表の皆様のご臨席を賜り、このような素晴らしい式を開いていただけたこと、卒業生一同、心から御礼申し上げます。

 

土田くん、胸の熱くなる送辞をありがとう。七十八期の諸君の支えがあったからこそ私は、そして私たちは、今この場にいることができるのだと思います。感謝の思いを込めて、答辞を述べさせて頂きます。

 

三年前を振り返ると、私たちの高校生活のスタートは、約二ヶ月間のオンラインによるホームルームと授業、そして登校するようになってからも、マスクをつけ、互いに顔がよく見えない状態で始まりました。新たな仲間との出会いの季節にも、私たちは、同級生との会話を極力控えなければならず、お互いに友達ができるのか不安でした。様々な行事や課外活動も制限され、お互いの仲を深める機会が奪われていきました。またコロナウイルスが猛威を振るう中、学校の休校、イベントの自粛、不要不急の外出を控えるといったことも起き、学校の外部の人とのつながりもなくなっていきました。こうした状況によって孤独感を抱いた人もいるかもしれません。

 

しかし私たち桐朋生は、困難に負けず、お互いの繋がりの輪を広げていきました。春に一度は中止されたスポーツ大会も、秋には、学年別にし、ルールを工夫することにより、開催されました。互いに励まし合い、様々な声援を送ったことは、私たちの中に一体感を生み出しました。

 

修学旅行も他の学校が次々と中止し、桐朋でも実施が危ぶまれる状況でした。しかし、決して諦めることなく、修学旅行委員を中心として、クラスでの話し合いを重ねながら準備を進め、奇跡的に実施することができました。同じ部屋で共に語り合い、お互いの仲を深めた私たちの修学旅行は決して忘れられません。

 

桐朋祭も、コロナ禍による様々な制約があるにもかかわらず、桐朋祭の伝統を途絶えさせることなく開催にまで漕ぎ着けました。桐朋祭実行委員を中心に、多くの生徒が遅くまで学校に残り、懸命に様々な工夫を凝らし、出来上がった企画はこの上なく素晴らしいものでした。様々な個性豊かな発表を見て、それぞれの知見を共有し合ったことは、今の私たちを作り上げていると思います。

 

こうして振り返ってみると、私たちはコロナ禍によって分断された世代なのかもしれませんが、私たちは精一杯お互いの関係を築き上げてきました。この力は桐朋であるからこそ、そして桐朋生であるからこそ発揮できたのだと思います。

私たちが桐朋生活を送ってきたこの三年の間にも、社会は大きく変化しました。コロナ禍では、人々は様々な制約を受けました。人と人との距離が離れて社会が分断され、今まであった共同体が失われ、社会全体に孤独感が蔓延しているのかもしれません。

しかしコロナ禍の中でも、友の輪を広げることのできた桐朋生であるならば、このような状況を乗り越え、人と人との交流を取り戻しながら、社会を牽引していくことができるのではないでしょうか。私たち桐朋生の力は「自主」「敬愛」「勤労」という精神に支えられています。この精神がお互いを思いやり、様々なことに挑戦していく姿勢を生み出していると言えるでしょう。社会に出ると、コロナ禍を凌駕する困難が襲ってくるかもしれません。しかしそんな時こそ、桐朋で培った「自主」「敬愛」「勤労」の精神を思い起こしたいと思います。困難を乗り越える支えとなり、私たちの未来における、何よりも確かな羅針盤になると信じています。

 

そして後輩の諸君へ。私は偉そうに何か言えるほどかっこいい先輩ではありませんでした。何回も失敗したし、かっこ悪い姿を見せたこともありました。しかし、それでもついてきてくれた後輩にはほんとうに感謝しています。桐朋の「自主」「敬愛」「勤労」の精神は友と素晴らしい関係を築くことにつながると思います。我々が先輩から引き継いできたこの精神を存分に発揮し、また諸君の後輩に繋げていってください。

 

いままで、ありがとう。

 

最後になりますが、今日まで私たちを様々に励まし、支えてきてくださった先生方、職員の皆さん、支えてくれた家族の一人一人に、心より感謝を伝えたいと思います。

 

本当にありがとうございました。

 

私たちは、今日を持って、桐朋を巣立ち、それぞれの道へと向かいます。新たな世界で、私たちは成長し続けたいと思います。新たなことに挑戦する私たちは、時には大きな失敗するでしょう。しかしくじけることなく立ち上がって、仲間と共に進んでいきます。そんな私たちをどうか見守ってくださいますよう、何卒お願い申しあげます。

 

桐朋高等学校の更なる発展を心より願い、以上を持って答辞とさせて頂きます。

 

2023年3月4日

卒業生代表 森河正平

高2学年(78期)の小池翔太君が地学オリンピック本戦まで残り,銅賞を受賞しました。地学オリンピックの世界について小池君より寄稿していただきましたので,掲載します:

地学オリンピック体験記

 私は2023年3月12日から三日間つくば市で行われた第15回日本地学オリンピック本選(国際地学オリンピック国内三次選抜)に出場し、銅賞を獲得しました。

 地学オリンピックは高校一年生の時からチャレンジしていましたが、去年度は予選落ちしてしまい本選に出場することはできなかったので今回受賞することができて非常にうれしかったです。

 地学は高校生にとってはマイナーな科目です(弊校の地学の設備は標本やプラネタリウムなど素晴らしいです!)が、地質、固体地球、気象、海洋、天文の5分野を扱うとても幅広い学問であり、また未だに解明されていないことがとても多く、非常に興味深いです。

 
 日本地学オリンピックは二度の予選と本選で構成されており、参加者は毎年約1600人ほどです。予選では教科書の内容を中心に問われるマーク式テストで、約60人に絞られます。

 本選は三日間あり、初日は地学に関わるお仕事をされている方からのレクチャーや、過去に地学オリンピック本選に参加されて、現在大学で研究活動を行っているOB・OGの方々との交流会があり、地学に関心のある私にとって非常に意義深いものとなりました。

 二日目の午前は試験で、予選と違い、本選の試験は教科書の知識を背景とする思考力のある問題が中心の記述式問題で、化石、鉱物、岩石の鑑定試験もありました。午後はつくば市にある産業総合研究所の地質標本館を見学しました。地質標本館には以前にも行ったことがあったのですが、基礎的な知識が身についてから見学すると、新たな発見や疑問が浮かび、とても楽しかったです。夜には本選に参加した生徒同士の交流会が行われ、普段学校ではできないような同世代との地学の専門的な話や、他愛もない話で盛り上がり、交流を深めることができました。

 三日目は地質学的観点から見るつくば周辺の巡検と表彰式でした。巡検では、地質学の専門の先生をお招きし、地形の形成や歴史についてレクチャーを受けました。

 
 当初、私は最低銀賞という目標を掲げて準備をすすめていたので、銅賞という結果に満足しているわけではありませんが、試験に向けての努力や、三日間で得たものは自分にとって良い経験になり、とても楽しかったです。

 

地学オリンピックの対策について

 予選本選を通して、地学オリンピックに必要な参考書は、地学基礎、地学の教科書(もう一度読む高校地学でも可)と地学図表もしくは地学図録、の三冊です。

 この参考書をひたすら読み込んだら過去問を解きましょう。過去問はホームページからダウンロード可能です。その他、東大や東北大、筑波大の過去問もおすすめです。

 地学オリンピックの勉強をして予選通過レベルになると、大学受験でも十分に通用する地学力がつくので、地学オリンピックを通して受験勉強をするのもおすすめです。

2年D組 小池翔太

大人気YouTuberの葉一さん(YouTubeチャンネル「とある男が授業をしてみた」)に、3月8日(水)、ご講演いただきました。桐朋高校1年生(79期)に向けて、テーマは「進路について」の講演会でした。「高校時代、進路について迷っていたこととその解決法」「高校生の自分と日頃の勉強」「高校・大学・社会人となる中で夢が変わっていった経緯」などについてテンポよく、そして何より目の前の生徒達に響く言葉で語られました。35分の講演はあっという間で、その後の質疑応答も途切れることなく生徒達は手を挙げました。
講演会後の生徒の感想をいくつか掲載します。

僕の心に残ったのは、「色々な考え方に触れた方が良い」という考え方です。考え方が柔軟で、凝り固まっていない若いうちに様々な考えに触れることが大事だと仰っていました。僕はある程度自分なりの考え方を持っていますが、それが凝り固まらないように、本を読んだりして様々な考え方に触れようと思いました。(塩田)

自分はテストの結果などで落ち込んだりすることがありました。今回の葉一さんの講演で、失敗から学び、未来の事態に備え、自分がどうすれば気持ちを維持できるかを考えることが大切であることを知りました。今後に活かしたいです。とても有意義な時間でした。(磯部)

「頼る」ことと「信じる」ことが重要だと、心に残りました。(高原)

教育系YouTubeはあまり見たことがなかったが、葉一さんがYouTuberになられるまでの経緯がとてもおもしろく、興味が湧きました。(吉松)

中学時代のいじめられた経験、大学受験の国立大学前期日程失敗の絶望から立ち直ろうとする姿勢、メンタルの強さに感銘を受けました。僕も葉一さん同様、好きな歌をよく歌っており、アニメや漫画にも尊敬しているキャラクターがいます。以前より一層、趣味が自信に繋がり、人生の展望が開けそうです。(田中俊)

挫折したときにも自分に向き合い考えることが重要だと思いました。諦めずに前向きに考えることを教わったと思います。(小林優)

葉一さんに講演を依頼することになったのは、一人の生徒の発言からでした。
「葉一先生の動画は何回も拝見したことがあり、教育への携わり方や本人の人生に感銘を受けました。私は、今の自分たちが葉一さんの生の声を聞くことは、大きな財産になると思います。」
その後、各クラスの代表から成る委員会で提案しました。委員会で「進路選択の一環」で葉一さんに講演依頼することが決まり、教員の会議でもそれを了承しました。
そして直筆で依頼文を書き、送りました。葉一さんにその気持ちが伝わり、ご講演をいただくことになりました。そして生徒達が葉一さんから熱をいただきました。
私は、その熱が伝わった様子をじっと見ていました。またこれからもその熱がずっと伝わっていくように思います。

高校
3
Mar
3

2/27(月)、高1音楽会が開かれました。高1音楽会は、選択必修科目「音楽」を選択している生徒達(およそ3クラス分の人数)が、3グループに分かれ、それぞれ約1年近く練習してきた曲を、他の高1の生徒・学年担当の教員・保護者(任意参加)の前で披露する会です。中2でも同様の「中2音楽会」を行いますが、高1は音楽を選択した生徒達が演奏するので、中2のときよりも格段に上手になった印象を受けました。今回は、演奏会後の音楽の授業で映像を見て振り返り、その際に書いたレポートの中から、印象に残った1つを掲載します。ちなみに、これを書いた生徒は、高校から入学した生徒(S君)で、文中に出てくる生徒(K君)は中学から入学した生徒(音楽部)です。また、このレポートを書いた生徒のグループが演奏したのは、シューベルト作曲の交響曲第7番「未完成」です。

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私は今回の音楽会を通して感動した点がいくつかあります。まずは授業形式です。かた苦しい教科書にそった授業ではなく、1年を通してみんなで1つの音楽をつくるという形式に驚きを隠せませんでした。音楽の歴史を一般教養的に覚えさせたり、弾きもしないのに音楽記号を覚えさせたりするこれまでの授業は退屈だと感じていたので、今回の演奏で音楽の本質に触れられた気がして、楽しかったです。そして本番は思っていたものと全然違いました。私はピアノを習っているので練習を苦と感じたことはありませんでしたが、「そんなのもできないの?」というレベルの初心者も多く、本当に本番までに完成するのか、本当に「未完成」になるのではないかと、疑っていました。しかし、意外に完成度が高く、変に途切れるところもありませんでした。みんなの成長スピードにも驚きを隠せません。次に、後から聞いてみて、思ったよりも音が小さかったです。少し迫力に欠けていると思ったものの、逆に自分のミスも聞こえてこなかったのでホッとしました。私は事前の練習中に、テノールとエレクトーンだけになる部分の減速具合があまりにも気になり、指揮者のK君に「そこが気になる」と伝えたところ、K君は「別の部分がはやくなっているから、そこでリセットして全体の崩壊を防ごうとしている」と言っていて、素直に理想を見続けていた自分とは違い、指揮者として本気でこの曲のことを考えていたのだな、と少しだけ感動を覚えました。それからはなんとなく自分の中で割り切れるようになりました。本番をこれといったミス無く終えられたことが喜ばしいです。成功だと思います。

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